帝田アオイに案内されて入った事務所で印象深かったのは、天井の高さ。フロアの三分の二ほど、二階部分の床がなく、吹き抜けの天井には蛍光灯が三列に吊されている。交換するのが大変そうだ。
事務所内は入口を入ってすぐ、何も置かれていない広めのスペースがあり、その奥に衝立てで仕切られた応接スペースと、所長や事務員が仕事をするスペースがある。事務机の上には資料類の他に、電像式の画像表示装置や、キーボードなどが複数台、置かれていた。さらに奥にはガラス張りの別室が設けられており、冷蔵庫のような機械装置が並んでいる。会社や研究所にあるような大型の電子演算装置……のように見える。それらの機械装置が発する駆動音が、事務所内に重く響いていた。
オキナとタツミを迎えたのは、長身の青年。茶色い髪を整髪料でオールバックに固め、ブランド物の黒い上下の背広と臙脂色のネクタイをびしっと着込んでいる。服の上からでも、筋肉質の体であることが伺える。浅黒く日焼けした肌に黒い瞳。彫りが深く、太い眉が意志の強さを感じさせる。赤茶けた鉄鉱石のような印象の二枚目だ。
青年はいかつい外見に反して、にこやかに自己紹介をする。
「はじめまして、ミス刻藤。私が当架空事務所所長の渡頼場です。ご来所いただき深く感謝いたします」
「刻藤、オキナですね……よろしくお願いするですね」
渡頼場から差し出された大きな手を、オキナはぎこちなく握り返す。ゴツゴツした感触だ。
「それで……その、こちらはですね……」
次いで、タツミを紹介しようとするが、渡頼場はオキナの言葉を遮る。
「そちらは、良く存じ上げております。……タツミ、事前に認識はしていたが、本当に君がミス刻藤のプランにアサインされて来るとはな」
話を振られたタツミは、特に緊張した様子もなく、気楽な調子で返事をする。
「色々あってね。この娘……オキナちゃんが反愚に絡まれていたのを放っておけなくて」
「ほぅ、連中もご苦労なことだな。しかし……プランの情報にその記述はなかったようだが。ミス刻藤、被害報告は出されましたか?」
「え? えっと、その……ハイ、まだですね」
「では、アサイン票を頂戴すると同時に、こちらからトラブル報告をさせていただきますが、よろしいですか?」
「は、ハイ、お願いするですね」
「では、それも含めて詳しい話を伺いましょう。どうぞこちらへ」
二人はその言葉に従い、応接スペースの、立派だけれど少々くたびれた感じの革製ソファーに並んで腰を下ろす。渡頼場もテーブルを挟んで向かいのソファーに座った。
そこへ、犬耳少女がお盆にお茶を乗せてやってくる。
「どうぞ……」
それだけ言って、緑茶の入った三つの白磁茶碗をぴったり正三角形に並べ、小さく会釈して応接スペースを出て行く。
渡頼場は軽く緑茶をすする。そして黒い革張りのエルグノートを開き、オキナから受け取ったアサイン票を読み込ませた後、万年筆を片手に言う。
「アサイン票を受理しました。それではまず、ここへ来るまでの経緯をご教示下さい」
オキナは「ハイですね……」と返事をしてから、説明を始めた。
学校帰りにプランが指定するタクシーとの待ち合わせ場所へ行ったら、大男二人に自身のエルグノートを取り上げられ、燃やされそうになったこと。それをタツミに救われ、タクシーに飛び乗ったこと。なりゆきでタツミをオキナのプランにアサインしたこと、などを一通り語る。
喉が渇いたので、オキナは出された緑茶を飲んでみた。ほどよい苦味と共に、濃厚な茶葉の甘みが口の中に広がる。良い茶葉を上手に淹れているようだ。
渡頼場は、オキナの話を聞きながら、何やらエルグノートに入力していたが、「なるほど」と、小さく言ってから、腹に響く大きな声で「ミス帝田! そちらに情報を送った……後は頼む!」と言う。
隣の事務所スペースから、「うん」という小さな返事が聞こえた直後、断続的に金属を打ちつけるような音が響き始める。
「何の音ですかね?」
オキナの問いに、渡頼場ではなくタツミが答える。
「多分、アオイちゃんがキーボードを使って電算機に情報を打ち込んでいるんだと思うよ。そういうの、得意みたいだからね」
続いて渡頼場が言う。
「ミス帝田は、当事務所で扱う演算装置全般のオペレーションを担当してもらっています。手前味噌で恐縮ですが、実に有能な助手ですよ」
「へぇ~、それは凄いですね」
何がどう凄いのかは自分でも良くわからないが、多分、すごく凄いことなのだろう。
「さて……と。トラブル報告はこれにて完了です。では、いよいよ本題に入らせていただきます」
「わかったですね。で、何すればいいですね?」
「まず、ご依頼内容を伺いたいのですが」
「?……えっと、ハイ。ひと月前に、家で飼っている猫のケイトが行方不明になったですね。それで、エルグプランにアサインしたら、こちらを紹介されたですね」
「なるほど、頂戴した情報通りですね。対象は茶虎の雑種猫ケイト、メス、推定年齢六歳。ひと月前に夜のエサを与えた直後から行方不明。住居のある環状五番街二十五番地付近の目撃情報なし。性格は温厚で社交的。鈴つきの首輪あり。写真も何枚か登録されてますね」
そう言って渡頼場は、自分のエルグノートのページをオキナに示す。
「ハイ、これですね。わりと最近撮ったので、参考になると思うですね」
オキナは資料の中から一枚の写真を指し示す。私服姿のオキナが、猫を抱き抱えて微笑んでいた。他の写真と比べると、撮影された時期によって、オキナの身長や服装に違いはあったが、猫の印象はほとんど変わらない。
「ちょっと質問、いいかな?」
「何だ? 言ってみろ、タツミ」
「……アサイン資料を見ても、オキナちゃんの話を聞いても、これって単なる行方不明のペット捜索依頼だよね。それでなぜ、この事務所に話が来るんだろう? 普通、探偵事務所とか興信所の仕事だと思うんだけど」
「?……ここって、そういう所じゃないですね?」
オキナの疑問に、渡頼場は小さくため息をついて言う。
「なるほど、一般の方にはもっともな疑問です。当、渡頼場架空事務所はバリオン市国内で唯一……そして、おそらく世界でも数少ない、民間人に対して魔法力を提供する個人事務所なんです」
「!……魔法力っていうと、所長さんは“魔法使い”なんですね?」
魔法という神秘ワードに、オキナは目をキラキラさせて問うが、渡頼場は苦笑気味に答える。
「まぁ、そういうことになります。もっとも私は、ホウキで空を飛んだり、カボチャを馬車に変えたりは出来ませんが」
それで納得しかけたオキナだが、再び新たな疑問を抱く。
「とすると所長さんは、魔法で何が出来るんですかね?」
「そうですね……情報系と、戦闘系の魔法を少々、といった所です」
「ほわぅ~。魔法使いの人って、はじめて見たですね」
「まぁ、多くの魔力保有者は、あまりマスメディアには露出しませんから」
「何でですね? せっかく魔法が使えるのに……」
「ご存じかと思いますが、現代文明は幻想時代の魔導技術が元となって成立しており、有能な魔力保有者も少数ながら現存しています。ですが、人材の大半は国家か企業に囲い込まれており、現状では個人が民間人に対して魔法力を提供するのは難しいのです」
「所長さんはその、難しいことをやっているんですね!」
「……恐縮です」
渡頼場は微妙な表情で、一応同意した。
再びタツミの発言。
「で、話を戻すけどさ、その世界的にも珍しい渡頼場架空事務所に、今回の件がアサインされた理由は何なんだろう?」
「エルジオーグがプランを策定する基準は非公開だ。我々で類推するしかない。そのヒントを掴むためにも、依頼者に直接話を伺っているわけだ」
「何か魔法絡みだと思うの?」
「まだわからんな」
エルジオーグにアサインされた意味を、魔法使いであるという渡頼場も理解出来ないのだろうか?
オキナがこの国へ移住して一年が過ぎようとしているが、いまだにエルジオーグという存在の意味を掴みかねている。それは彼女に限ったことではなく、この国に住む多くの人々が抱く想いでもあるようだった。
「神様の考えていることはわからない、ということですかね?」
ぽつりと漏れたオキナの言葉に、渡頼場とタツミが同時に視線を向ける。
「ミス刻藤……」
「な、何ですね?」
目を白黒させているオキナに、渡頼場は力強く断言した。
「エルジオーグは神じゃない」、と。
タツミが確認する。
「……それは、“神ではない”という意味だよね」
「無論だ。エルジオーグは収集した情報を自動的に結びつけて、様々なプランを提示する。それを神の託宣のように思う連中もいるようだが、あくまで提示するだけだ。プランの内容が保証されているわけではないし、完璧に従う義務もない。エルジオーグは単なるマッチングシステムだ。それ以上でも、それ以下でもない」
「まっちんぐシステムって……」
「つまりね、エルジオーグやその末端であるエルグノートは、集めた情報を使って人と人、モノとモノとを結びつける便利な道具ではあるけれど、“使うモノ”であって、“使われるモノ”ではないということ。道具も、結局は使う人次第……それを忘れちゃいけないよ」
「……道具を使う人が、道具の使い方を考えないといけないんですね?」
「そういうこと。どうすべきかを決めるのは、ボクたち自身なんだから」
「あたしも、ですかね?」
「オキナちゃんの問題なんだから、当然そうだよ」
「ふむゅうぅ~」
オキナはエルグプランにアサインされたら、何も考えず従えば良いとばかり思っていた。だから、プランの意味を考えるという発想もない。
エルグプランによって、魔法使いのいる事務所に案内されたということは、今回の件に何か魔法が関係しているであろう、というのは想像出来る。オキナは自分なりに理由を考えてみた。自分や飼い猫が魔法に関係すること……。
だが、どう考えても、魔法に縁があるとは思えない。思えない……が、何かが引っかかるような。魔法とは直接関係なくともだ。
「?……!?……!」
「オキナちゃん、何か思いついた?」
タツミの言葉に、渡頼場もオキナに注目する。
二人に気圧されながらも、彼女は思いついたことを言う。
「あの……所長さん。この事務所って、何年前からやってますかね?」
タツミと渡頼場は、ハッと顔を見合わせる。渡頼場が答えた。
「しばらく休業期間がありましたが、十年ほど続いています」
「休業期間というのは、どれくらいですね?」
「業務を再開してから現在までで半年。閉鎖期間は五年です。それ以前に、四年半ほど業務を行っておりました」
つまり、開業から十年といっても半分は休業期間だったということになる。
「じゃ、五年半前はお仕事してたということですね」
「ええ、そうですが……」
「あたしの父さん……刻藤ジアンっていいますけど、父さんはその頃、バリオン市国で仕事をしてたんですね……」
「続けて」と、タツミが促す。
「……父さんは、ケイトをある所から引き取ったって聞いてますね。ハッキリ覚えていないんですけど、何とか“カクウジムショ”って所からだったはずですね」
「架空事務所だとっ!」
渡頼場がテーブルをバンと叩き、立ち上がる。
「ひおぅっ!」
その剣幕に、オキナはビクッと身をすくめた。
「おいおい、お客を脅してどうするのさ?」
タツミに窘められ、渡頼場はソファーに座り直す。
「いや、失敬。なるほど……架空事務所という名称が確かならば、何らかの経緯でケイトをミス刻藤の父君に譲ったのは、当事務所である可能性が高いですな」
「参考になったですかね?」
「ええ、非常に興味深い情報です……なるほど、そうなるとだな……」
渡頼場は、しばらく腕を組んで考え事をしていたが、やがて意を決したようにオキナに向かって問う。
「ミス刻藤。あなたは本気でケイトを探したいと思っていますか?」
口調は穏やかなままだったが、真剣な質問であることはわかる。だからオキナは躊躇なく答えた。
「ハイ……絶対に見つけて欲しいですね。あの子は……ケイトは、あたしなんかよりしっかりしてるから、危ない目に遭ってるなんて思ってはいないですね。でも、だからって、これから二度と、あの子に会えないなんて耐えられないですね……お願いします、どうかケイトを見つけて欲しいですね」
その言葉を受けて、タツミがつけ加える。
「オキナちゃんは、あんな危険な目に遭ってまでここに来ているんだ。大切な友達を捜したい気持ちに、嘘はないと思うよ」
二人の言葉に、渡頼場は大きく頷く。
「よろしい。では、ただいまよりケイトの捜索にかかりましょう!」
そう言って立ち上がり、応接スペースを出て行く青年を見て、オキナはタツミに小声で聞いた。
「所長さんは、何を始めるですね?」
タツミはにっこり微笑みながら片目を瞑り、答える。
「“失せ物探しの魔法”を使うのさ」、と。
ほどなくして。
オキナとタツミは事務所を入ってすぐの、何も置かれていない、開けたスペースの隅に立っている。
スペースの中央に渡頼場が立ち、その脇に事務机と椅子が運び込まれている。事務机の上には電像式の画像表示装置とキーボード。椅子の上には犬耳少女の帝田アオイが座っている。キーボードは画像表示装置に直結され、画像表示装置からは十数本のケーブルが伸び、事務所の奥にある電子演算装置が置かれた部屋まで続いていた。アオイは紙の資料や白い革表紙のエルグノートを見ながら、何やら入力作業をしている。キーボードがリズミカルに叩かれるたび、金属的な打鍵音が事務所内に響く。
渡頼場が一同に向かって告げる。
「それでは捜索を開始する。各自、その場を動かないように。ミス帝田、準備は良いかね?」
問われたアオイは打ち込み作業を続けたまま、淡々と答える。
「キーボード、チェック。表示装置、チェック。コンソール接続、チェック。電源装置、チェック。予備電源装置、チェック。冷却装置、チェック。電算機一番から四番まで、チェック。五番は修理依頼中のため除外。中央演算処理装置の総合稼働率二〇パーセント未満、チェック。テンレットフーへの接続、チェック。回線使用率四〇パーセント未満、チェック。主要プロセス起動確認、チェック。スクリプト・シレーヌ、単体試験完了、チェック。スクリプト・ティタン、単体試験完了、チェック。スクリプト・ペガーズ、単体試験完了、チェック。スクリプト・シレーヌ、ティタン、ペガーズ、結合試験完了、チェック。現在は追加スクリプト、リコルヌの単体試験中……完了、チェック。十五秒後に結合試験完了予定──」
「よろしい、続けてくれたまえ」
「──うん。追加スクリプト、リコルヌの結合試験……完了、チェック。事前確認項目、オールチェック。ターブル・ロンド、起動」
アオイはキーボードをパシンと叩く。直後、事務所の奥に並んだ電子演算装置が甲高い唸りを上げ始めた。
タツミが小声で、オキナに説明する。
「あの装置は、所長の造る魔導演算装置をアオイちゃんが操作するための機械なんだよ」
「魔法を操作する機械、ですかね?」
「そう、所長は調査するための魔導演算装置を構築、駆動、維持管理するのが仕事なんだ」
「???」
「見ててごらん。そろそろ始まるよ」
タツミの言葉通り、渡頼場が自身のエルグノートを開き、宣言する。
「これより、エルグプラン『第五八三八二〇号:失踪動物の捜索』に基づき呪紋魔力、キャパ・アタナソフ=ダブルプラスクライの架空を行う。指揮および架空維持は渡頼場が、操作はミス帝田が担当する」
続いてアオイが告げる。
「ターブル・ロンドの起動、チェック。ダブルプラスクライとの接続準備完了、チェック」
渡頼場は両手を前に突き出して意識を集中し、告げる。
「キャパ・アタナソフ=ダブルプラスクライ、架空開始」
同時に、彼の周囲へ力ある何かが集積し始める。
それはやがて、目には見えないが確かに存在する形となり、渡頼場の眼前に構築されて行く。初めに細い針金のような枠組みが生じ、空中で長方形の箱のような造形となる。次いで、内部に板状の構造物が生まれ、内部を仕切って行く。そして仕切りの中に機械装置のような構造物が形成される。構造はどんどん複雑になり、やがて箱の内部はぎっしりと機械装置らしき造形で埋めつくされた。
箱の周囲にもパイプやケーブル、ファンのような構造物が生じる。箱から生じたケーブルが伸び、アオイの操作する画像処理装へと繋がった。
展開が終了すると、長方形の構造体は、アーティストがデザインした、小粋な冷蔵庫のような姿となっている。
「架空完了、確認、コンタクト!」
渡頼場の宣言に合わせ、空中の構造体が鳴動を始める。構造体の中心部に金色の輝きが生じ、それはやがてすべての構造体をなぞるように広がり、染め上げて行く。
「オキナちゃん……見えるだろ。あれが所長の魔法さ」
「え?……あ、ハイ、良く見えてるですね」
オキナには構築過程が最初から見えていたが、タツミには今、金色に輝いた直後からしか見えていないようだ。これもまた、彼女以外には視えない種類の“モノ”であるらしい。
目に見える構造体として出現した金色のデザイン冷蔵庫は、事務所の開けたスペースの中央で安定した鳴動を続けている。
アオイが告げる。
「ターブル・ロンド、ダブルプラスクライ間の接続確認、チェック。通信テスト完了、チェック。フィンガープリントの整合性確認、チェック。認証完了、チェック。パラメータの自己診断……完了、チェック。スクリプト・シレーヌ、ティタン、ペガーズ、リコルヌの投入開始……完了、チェック。駆動準備完了、チェック」
渡頼場はアオイの報告に頷き、告げる。
「よろしい。操作権譲渡、ミス帝田」
「うん。操作権受領、アオイ、チェック」
「以後の捜索情報は、私のエルグノートへ転送。必要があると判断した事象のみ、口頭にて報告するように」
「情報連携開始、チェック。以後、報告は簡略化……テンレットフーへ接続し、対象の捜索開始」
それきり、アオイは口を閉ざし、猛烈な勢いでキーボードを叩き始めた。
金色のデザイン冷蔵庫……に見える魔導演算装置、ダブルプラスクライが輝きを増し、エネルギーをほとばしらせながら鳴動を強める。
タツミが小声で解説する。
「あの魔導演算装置一台で、奥の電算室に並んでいる電子演算装置の数千万倍も、処理能力があるんだって」
「にゅう? それって、もの凄いことですか……ね?」
「ピンと来ないかい? 実はボクもだよ。ともかく魔導技術と電子技術の間には、それだけの差があるってことさ。ダブルプラスクライは、単体でエルジオーグを稼働させている魔導演算装置に近い性能がある。しかもそれを、アオイちゃんの意志で自由に動かすことが出来るんだ。これだけの性能があれば、バリオン市国内どころか、世界中の魔導ネットワークから、好きな情報を見つけることが出来るはずだよ」
「ケイトの居場所もですね!」
「迷子のペット探しをわざわざ渡頼場架空事務所へアサインしたエルジオーグの意図も、わかるかもしれないよ……ホラ、始まった!」
タツミの言葉通り、ダブルプラスクライの上面にある丸い枠のような模様の中から、にゅっと何かが突き出た直後、二つに割れる。それは巨大な双葉だった。
魔導演算装置から生えた双葉は急激に成長し、吹き抜けの天井へ向かって伸び始める。樹木のように育ったそれは、無数に枝分かれし、様々な方向へ突き進んで行く。
成長する枝が、金色の輝きを帯びていることを確認してから、オキナはタツミに問う。
「あれは、何ですね?」
「“情報樹”というそうだよ。実際にあの枝が何かをしているというわけではなくて、アオイちゃんがダブルプラスクライを使って世界中の魔導ネットワークに接続している様子を、目に見える形で表しているんだ……情報樹の中身を見てみるかい?」
「見たいですね」
オキナの返事に、タツミは大きな声で言う。
「アオイちゃん! ボクらのエルグノートにも、そちらの情報を転送して欲しいんだけどな!」
犬耳少女はその言葉に、犬耳をピクリと動かし、ちょっと困ったような表情でこちらを見る。
「ミス帝田、クライアントからの要望だ。言われた通りにしたまえ!」
「でも……うん」
雇用主である渡頼場に促され、アオイは渋々という感じで操作を実行する。
二人がそれぞれのエルグノートを開くと、そこには無数の情報が乱舞していた。文章情報、画像情報、図形情報などが、内容を読むよりも早く現れては消え、架空紙が次から次へと追加されて行く。この中から特定の情報を見つけることなど不可能ではないだろうか?
十数秒ほど表示が追加され続けた所で、情報の乱舞が急に停止する。最後に追加されたページには、『規定の表示可能枚数を超えたため、ページの更新を停止します』と書かれていた。
「う~ん、やっぱり無償版のエルグノートにはキツかったかぁ」
タツミが苦笑しながら言う。
「?……それじゃ、アオイさんは……」
「こうなるのを知ってたから、嫌な顔をしたのかもねぇ」
「!……じゃ、所長さんのノートは大丈夫ですかね?」
「そりゃま、有償版を使ってるだろうから、平気だろうよ」
確かに大丈夫そうだ。
オキナも、街で配布している無償版のエルグノートの他に、有償版が存在していることは知っていたが、どれほど機能に違いがあるかまでは認識していなかった。
強制的に更新が止まったエルグノートのページを確認すると、どうやら動物病院やペットショップから収集した情報らしい。扱っている情報の中から猫に関するものが抜粋されている。こういう情報を、勝手に引き出して大丈夫なのかわからないが、着実に調査が進行しているのは間違いないようだ。
黄金の輝きを放つ情報樹は天井付近まで成長を続け、樹木というより毛細血管のように分岐を続ける枝葉は、天井だけでなく部屋の四方、隅々まで伸び切ろうとしている。事務所の天井を占拠した情報樹の各所に、他とは異なる輝きを放つ部分が数カ所あった。その部分だけ金色ではなく、赤や青、緑など様々な色の輝きを放っている。
「あの、色の違う部分は何ですね?」
「うん、詳しくはわからないけど、あそこに重要な情報がありますよって、印らしいよ」
「はふぉぇ~。じゃ、あっちの影みたいなのは?」
彼女が示した場所を見て、タツミが怪訝な顔をする。
「?……何があるのかな。ボクにはちょっと……」
「い、イヤッ、な、何てことない見間違いですね」
オキナがしまったと後悔した直後、彼女が指摘したまさにその部分の情報樹が、金色の粒子を撒き散らして、霧散する。
渡頼場が叫ぶ。
「ミス帝田、状況を報告!」
アオイは打鍵を続けながら、淡々と報告を行う。
「外部から侵入。防火壁を突破されてる……対象を隔離、解析中……消えた」
「再度侵入される危険は?」
「うん……また来た」
アオイの言葉通り情報樹の別な箇所に、まだ金色に着彩されていない影が近づいているのが、オキナには視える。直後、影が触れた部分の情報樹が、またも霧散した。
「対象を隔離……する前に消えた。市内からの接続みたい」
「チイッ、同業者か? 攻撃するから、指示を頼む!」
渡頼場はそう叫ぶと、情報樹に向かって片手を突き上げ、何か構える仕草をする。
本来なら見えてはいけないモノだが、オキナには彼が銃のような構造体を構えているのが視えた。再度、影が接近。
「直上八時、目標明示」
オキナが視たのと同じ箇所をアオイが指示し、その部分の情報樹が白く輝く。渡頼場が構えた構造体の引き金を引くと、見えない稲妻が発生し、白く輝く部分を打ち抜く……が、その寸前に影が情報樹の一部を霧散させている。天井一杯に成長した情報樹はしかし、その各所が削り取られるように霧散し始めていた。それから数回の攻撃。アオイはその都度、的確に攻撃場所を指示したが、渡頼場が認識して攻撃するまでのタイムラグを埋めることは出来ない。
そして不意に、部屋が暗くなる。
黄金の魔導演算装置が暗闇に浮かび上がった。
「!?……クソッ! 状況報告ッ!」
渡頼場の悪態が事務所内に響く。
「六番変電所からの給電停止、詳細不明。現在は予備電源にて稼働中。キャパシタの残量、八分未満」
アオイの報告を聞いた渡頼場が、今度はタツミに問う。
「外の状況はどうなってる?」
渡頼場の言葉を待つまでもなく、オキナの隣にいたはずのタツミが、いつの間にか事務所の扉を開いて外の様子を伺っていた。
「今、見てる……ダメだ。北西外縁部は全部落ちてるねぇ」
オキナも扉の外を見る。環状八番街はバリオン市国内でも、もっとも標高が高い場所にあるため、周囲の状況を一望することが出来た。タツミの言う通り、事務所の左右と下方一帯だけ真っ暗だが、それ以外の地区は明かりが灯っている。
事務所内にも非常灯が灯り、引き続き情報樹での戦いは続いている。
オキナにも、現状がかなりマズいことは、何となくわかる。
彼女は敵の攻撃する予兆を視ることが出来たが、それを伝えるわけにも行かず、オロオロするばかりだった……が。
唐突に、タツミが言う。
「オキナちゃん……次の攻撃が来たら教えて」
「んなっ?……そ、そんな、あ、あたしは、な、何も……」
「言い訳はいいよ。猫を探して欲しいんだろ? だったら協力して欲しいなぁ」
タツミはオキナの瞳をまっすぐに見据えて、言う。
いくらか慣れたとはいえ、その破壊力は強烈だ。
「わ、わかったですね」
思わず頬を染めながら頷いてしまう。
「ありがとう。ボクがオキナちゃんの視線を追うから、攻撃のタイミングだけ教えて欲しい」
オキナはコクコクと頷いてから、頭上の情報樹に意識を集中する。タツミが彼女の肩に手を置き、少女の視線と情報樹とを交互に見比べていた。恥ずかしがっている暇はない。またもや影が接近。
「来ますね!」
オキナの宣言とほぼ同時に、タツミは彼女の視線の先を無言で指し示した。
「直上三時、目標明示」
やや遅れてアオイの指示が飛び、それに合わせた渡頼場の攻撃が放たれるが、すでに情報樹の一部は霧散している。
「……うん、行けそうだな」タツミはそうつぶやいてから、叫ぶ。
「二人とも! ボクが攻撃場所を指示するから、それに合わせて!」
「何を言ってるんだタツミ、お前に……」
「来ますね!」
「そこだ! ボクの言うことを信じて!」
「!……直上二時、目標明示」
「クッソ、どうなってやがる!」
オキナからの情報を元に、タツミはアオイが指示するより早く攻撃場所を指示して見せた。その早さと正確さに、二人は驚きの表情を見せるが、先にアオイが対応する。
彼女はタツミに向かって言う。
「穂村君、かわりに指示を。アオイは反撃に専念する」
「任されたよ、アオイちゃん!」
「わかったから、さっさとしやがれ!」
「来ますね!」
「直上七時、緑のポイント!」
タツミはオキナの視線を追って、敵の攻撃目標と思われる箇所を指示。
「オラよっ!」
今までのタイミングより遙かに早く、渡頼場は攻撃目標を定め、構えた銃のような構造体の引き金を引く。稲妻が情報樹に到達する寸前、何も見えない空間が弾け、その直後、金色に輝く小さなネズミのような構造体が出現する。ネズミは情報樹を足場に逃れようとするが、情報樹そのものが変形し、檻となって小動物を模した構造体を捕獲した。光るネズミは情報樹の檻の中で激しく暴れている。
「対象自壊中……解析、八五パーセント完了、目標自壊。対象、オーヘイからの不正進入。詳細不明。以後、同種の攻撃は防御可能」
アオイの言葉通り、光るネズミは霧散し、それで攻撃は止んだ。
ホッと息をつく一同。
それからは順調に捜索作業は進む。情報樹の霧散した部分は修復され、情報収集が一通り完了した後、事務所の天井一杯に広がった情報樹は、自らの意志で霧散した。
その直後、天井の明かりが灯る。付近一帯の電力も回復したようだ。
すべてが終わり、冷蔵庫を思わせるダブルプラスクライ本体が消滅してから、渡頼場が険しい顔でオキナとタツミの元へ歩いてくる。
「タツミ、テメェ……コイツ……い、いや、ミス刻藤に反映領域が視えるって、いつ気づいた?」
問われたタツミは、涼しい顔で答える。
「最初に会った時から、何となく一般人と視線が違うなと思ってたんだよ。で、さっきの情報樹への攻撃を、オキナちゃんはアオイちゃんより早く察知しているみたいだったからさ。確証はなかったけど、本当に視えてたみたいだねぇ」
「ケッ、畜生、助かった! ミス刻藤……あなたにも深く感謝しますよ。これから収集した情報を解析します。結果は追ってご連絡いたしますので、本日はどうか、お引き取り下さい!」
「あっ……あう、ハイですね」
感謝の言葉とは裏腹に、渡頼場の表情は苦々しげであった。
淡々と機材の片付けをするアオイとは、実に対照的である。