バリオン市国中央部、クルサクル湖の南岸に位置する、ユーケイザス第四火力発電所。
湖畔に四基ある、火力発電所のうちの一つ。そのシンボルとも言える、長大な煙突の頂上付近。そこに設けられた、大きな部屋の小さな丸窓からソージがのぞくと、独立高山都市の東側斜面が夕日に紅く染まり、西側斜面が闇夜に黒く染まりつつある様が一望出来た。擂り鉢状に窪んだ土地を、八つの環状道路と十二の散状道路で区切って造られたこの街は、まるで深皿に蜘蛛の巣を貼りつけたかのようにも見える。
噴水での一件があった翌日の夕刻。
渡頼場ソージと助手の帝田アオイ、依頼人の刻藤オキナと穂村タツミの四人は、煙突の頂上付近にある、魔導排煙処理装置の監視室にいる。監視室内は、発電所のスタッフとエルグ社のスタッフが計十人ほど、元からある監視装置と、新たに持ち込まれた機器の間でせわしなく動く。そして時折、電子演算装置の端末を叩くアオイと、何やら相談をしている。残る三人は、部屋の隅に用意されたパイプ椅子に座り、準備が整うのを待っていた。
昨夜の一件の後、ソージ、オキナ、タツミの三人は、警察で一通り事情聴取を受けた後、ソージは事務所へ戻り、オキナはタツミと共に、環状二番街八番地に位置する、タツミの実家である鳴鈴拳の道場屋敷に泊まったそうだ。年頃の男女がウンヌンという観点からすると、色々面倒なことになる危険はあったが、敵から物理的に害される危険を考慮すれば、妥当な判断と言えるだろう。
一方、事務所に戻ったソージはアオイと共に、変形する呪紋魔力について調査を行い、スパイラルダガーから派生する次元隔壁を、安定的に架空させる方法を検討する。
まず第一の課題は、消費念量が過大な変形後の次元隔壁を、現代の魔導環境下にて最大効率で架空出来るよう、再調整を行うこと。ソージの指示により、アオイがグロス用の起動イメージを最適化した結果、性能を落とさず架空時の最大消費念量を七二・八パーセントまで削減する。これで現代魔法として、最低限の動作条件をクリア。
第二の課題は、安定して魔力を供給出来る場所を確保すること。渡頼場架空事務所も、シアイ=アソムの噴水以上に魔力の潤沢な立地ではあったが、試算した結果、極限まで最適化を行ってもなお、変形後の最大出力時に念量不足となることが予想された。これについてはエルグプランによって、休止状態にあったユーケイザス火力発電所の、魔導排煙処理装置用に確保された魔力供給ラインが使えることとなる。公共施設の設備だけに、念量不足の心配は皆無だ。
翌朝、徹夜で今後の目途を立てたソージは、依頼人二人に連絡し、夕刻からの調査開始、および昼間は休養と準備に専念するよう提案し、了承を受けた。イバナム学園の授業を休むことになるが、エルグプランに従った結果なので、公休日扱いとなる。
夕刻前に、タクシーで渡頼場架空事務所を出発したソージとアオイは、鳴鈴拳の道場屋敷へ寄ってオキナとタツミを拾い、ユーケイザス火力発電所へ到着。専用リフトで煙突の頂上付近にある監視室へ移動。
先に来ていたエルグ社の担当と打ち合わせを行ったのち、アオイは機器の準備を手伝っている。ソージは昼過ぎに入手した新たな情報を整理し、依頼者二人に状況説明を行う。
「二人とも、昨晩はお疲れ様でした。出来れば十分な準備期間が欲しい所ですが、敵に先んじるためには……いえ、敵に遅れを取らないためには、多少無理をする必要があると考えます」
オキナが力強く応える。
「当然ですね。ケイトを取られるぐらいなら、多少の無茶はヘッチャラですね!」
昨晩別れた時はかなり憔悴していたが、半日休んで随分と元気を取り戻したようだ。
タツミの方は、いたって元気。
「オキナちゃんがその気なら、ボクもとことんつき合うつもりだよ」
コイツのスタミナは底が知れねぇな。そう考えながら、ソージは話を続ける。
「よろしい。では、新たに判明した情報についてご説明いたします。まず、我々の敵対勢力であることが判明した、オーヘイについてですが……」
「それなら、あたしも調べてみたですね」
そう言って、オキナは自身のエルグノートを開く。情報検索は、エルグノートの基本機能の一つだ。
「ほほう、素晴らしい。では、お聞かせ下さい」
「ハイ、えっとですね……、オーヘイの意味は二つあったですね。一つは、バリオン市国で生まれた、エルジオーグと同じようなサービスの名前ですが、今はもうないですね。エルジオーグに負けて、潰れたって書いてありましたね」
そこでタツミが補足する。
「オーヘイって、ボクらがもっと小さい頃には、まだあったんだけどね。確か、今のエルグノートに相当するサービスを始めたのは、オーヘイの方が早かったはずだよ」
さらにソージが引き継いで言う。
「だが、連中は汎用魔導書──確か、オーヘイブックとかいう名前だったか──を売って商売しようとした。だが、エルグ社はオーヘイブックの機能を大幅に削った、エルグノートを無料でバラ撒いた。オーヘイが金を取っていたものを、エルグ社が無料にしたせいで、連中のビジネスモデルはガタガタになって潰れちまった。そしてエルグノートはバリオン市国から世界中に広がりつつある、というわけだ。そちらのオーヘイは現存しません。もう一つの意味として、何とありましたか?」
「あ、ハイですね。もう一つの意味は……えっと、ですね」
オキナはエルグノートのページを繰り、該当項目をそのまま読み上げる。
「……近年、魔導ネットワーク内で、エルジオーグを複製したシステムの存在が噂されている。このシステムの通称が、オーヘイと呼ばれる。ただし、旧オーヘイの関係者は、新オーヘイとの関与を否定している。新オーヘイは、オーヘイブック、もしくはエルグノートを使用し、エルジオーグと同様にプランを作成、提示する。しかし、エルジオーグのプランがあくまでも合法的な範囲で、参考意見として提案されるのに対し、オーヘイのプランは合法、非合法を問わず、その上、提供者にプランの絶対遵守を強制する。これは魔導的な強制力を含み、呪詛の一種とも言える。ひとたびオーヘイプランにアサインされた者は、与えられた課題が達成しない限り、代償なしにプランから解放さることはない。プランを途中で放棄した者、もしくは目標達成が不可能と判断された者は呪詛が発動し、しかるべき制裁を受けるとされる。新オーヘイの存在は、長く都市伝説として扱われ、エルグ社もその存在を公式に否定して来たが、近年オーヘイプランの関与によるものと思われる事件が複数発生しており、近日中に公的な捜査が開始される、もしくは極秘裏に開始されていると言われる……という感じですね、……フゥ」
ソージは大きく頷いてから解説する。
「我々の敵対勢力と目されるオーヘイとは、後者の新オーヘイのことです。ミス刻藤がエルグプランの発起人となった時点で、何者かが──おそらく裏社会の人間でしょうが──オーヘイの裏プランにアサインされたようです。連中も、ケイトが普通の猫ではないことを掴んでおり、我々に先んじて入手せんと動いているのでしょう。虚人には、それだけの価値がありますから」
タツミが、呆れるやら感心するやらという調子で言う。
「噂には聞いてたけど、裏プランって本当にあるんだねぇ」
「あぁ。オレも昨日までは、単なる都市伝説だと思ってたさ。一昨日の情報樹への攻撃で、ミス帝田がオーヘイからだと報告してきたが、にわかには信じられなかった。その時は確信が持てず、昨晩は再検証中だったんだが、ミス刻藤が反愚の眼鏡男を言い負かしたのに便乗して、確認させてもらった。あの時は助かりましたよ」
「え?……いえ、あの、その、キョーシュクですね」
思いがけず感謝され、オキナは戸惑っているようだ。その様子に、ソージはわずかに表情をほころばせる。
実を言えば、オキナに助けられた事柄は、それだけではない。彼女の機転で、情報樹を可視化し、緊縛魔法と偽って時間を稼げたのも大きかった。アオイ以外は知らないことだが、ソージはあの時一度、スパイラルダガーの起動に失敗している。
反愚たちとの戦闘が開始され、タツミと前衛を入れ替わった直後、彼は魔導ネットワーク経由でアオイから送られてきたスパイラルダガーの起動イメージを、早速発動さていた。しかし、反映領域を認識出来ないことが原因で、深刻な問題が発生していることに気づくのが遅れ、グロス本体の再起動と起動イメージの再調整を余儀なくされている。この時の彼は、どうにか平静を装っていたものの、内心の焦りから、伏兵に背後を取られるという、致命傷となりうる失策を犯していた。
それだけに、オキナとタツミのおかげで、どうにか状況を立て直す猶予を得られたことには、ただただ深謝するばかりだ。ハンディキャップを負いながらも、闇雲に魔法使いを続けてきた彼ではあるが、あの時ばかりは味方のありがたみを、心底痛感させられている。
……助かったぜ、ありがとな。ソージは心の中でもう一度礼を言ってから、解説を続ける。
「オーヘイ側は、エルジオーグのシステムを勝手に複製出来るぐらいです。かなりの技術と資金を持ってる奴がいるのでしょう。一昨日に続き、昨晩は噴水広場まで手下が押しかけて来ました。ということは、噴水広場の秘密も知られ、スパイラルダガーから変形する次元隔壁の存在まで、オーヘイ側の連中にも知られていると考えるべきでしょう」
そこでタツミが指摘する。
「待ってよ……だとすると、一昨日、オキナちゃんが反愚の連中に絡まれた時から、その裏プランが関係してたのかな?」
「……その可能性はあるな。オレたちがケイトの正体を解析するより早く、連中がミス刻藤に目をつけていたとすると、最初からこちらが後手だったのかもな」
続けてオキナが問う。
「それでですね、あたしが見た、鎌を持った影みたいなのは何だかわかったですね?」
彼女が言っているのは、昨晩の戦いで、戦意を喪失した反愚たちに出現したという、魔力で出来た人影のようなもののことだろう。あの場では彼女にしか視ることが出来なかったが、それについても報告が来ている。
「はい。反愚たちが運び込まれた病院からの情報があります。魔導科で精密検査を行った結果、眼鏡の大男──名前は、城賀トランフと言うそうです──奴が見せたオーヘイの黒いロゴマーク。あれが間違いなく、呪詛の正体です。あのロゴマークには強力な魔力が封入されており、オーヘイプランに失敗したと判定された者と、達成への意志を失った者に対して発動し、対象者の記憶を削除する効果があるようです」
「記憶を削除って、記憶がソーシツしちゃうんですね?」
「そうです。呪詛が発動すると黒いオーへイのロゴマークから、ミス刻藤が視たという、鎌を持った人のような魔導構築物──オーヘイの鎌とでも呼ぶべきものが出現し、対象者がプランにアサインされてから後の記憶を削除します。詳しい説明は省きますが、裏プランにアサインされた時点でオーヘイの痣から脳の一部に魔力が付与され、任意のタイミングで記憶を操作しているそうです。鎌によって記憶を刈り取られた反愚たちは、今も意識不明で、魔法的な記憶探査も不発に終わったとか」
「じゃぁ、ボクらが倒した反愚たちからは……」
「裏プランにアサインされていた反愚であるという以上の情報は、何も得られていない。気絶したまま病院に運び込まれた連中も、意識を取り戻した瞬間に鎌が発動し、記憶を刈られたそうだ。意識を失ったまま記憶探査を行おうとしても、鎌が発動したそうだから、精神的な自爆装置とでも言うべきものだな」
「つまり、オーヘイの裏プランにアサインされたら、目標を達成するか、失敗して記憶を奪われ意識不明となるか、あるいは死ぬかの、どれかというわけだね」
ソージは嘆息しながら言う。
「反愚の眼鏡野郎が、エルジオーグを偽造された神だと言うのも、わからんでもない。呪詛めいたオーヘイの掟に比べれば、エルグプランなんざ、甘っちょろい神もどきに見えるだろうさ。……オレには、受け入れられそうもない代物だがな」
「そういうのを好む輩も、いるってことだろうね。裏社会の連中なら、案外気楽にアサインするのかもよ」
「確かにな。失敗すれば記憶を消されて昏睡状態に陥るが、別に死ぬわけでもない。そこらへん、意外にリスクが低い所が、オーヘイの正体を今まで隠してきた要因だろうな……」
黙り込むソージとタツミ。
そんな二人を見て、不安そうにオキナが問う。
「でもでもっ、どんなに怖い人たちが相手でも、ちゃんとケイトを見つけてくれるですね?」
それに対して、ソージとタツミは、さも当然とばかりに答える。
「ん?……あぁ、その点ならご心配なく。厄介な連中なのは確かですが、こちらもプロですから。万事、我々にお任せ下さい」
「そりゃそうさ。ボクの格闘とソージの魔法、それにオキナちゃんの魔導視点と、アオイちゃんの情報処理能力が揃ってるんだから、完璧だよね!」
気楽に笑う二人を見て、オキナは安心したようだ。
ソージとしても、不安がないと言えば嘘になるが、ここで弱気な態度を見せても得はないと考えていた。無論、タツミと組めば大概の敵は倒せる自信があるのも事実。タツミの真意が読み切れない部分もあるが……ま、どう転んでも、何とかなるだろう。
その後、これからの探索活動についてのレクチャーが終わる頃には、バックアップ側も含め、すべての準備が完了する。
今回はソージ、オキナ、タツミに加え、アオイも探索行に参加する。バリオン市国内でのバックアップ体制は整えられているが、次元隔壁の転移先が不明のため、随行するバックアップ要員を必要とするからだ。
本来なら今回の探索は、専門の業者が行うべきものである。事実、エルグプランではソージたちではなく、バリオン市国を拠点に活動する、魔獣専門のハンターがアサインされていた。しかし、ソージはオキナたちと相談し、自身の手による探索行にプランを修正している。
魔獣専門のハンターなら捕獲出来る可能性は高いかもしれないが、オーヘイの息がかかった連中が紛れ込む危険がつきまとう。そうでなくとも、ケイトを発見したのちに、捕獲が困難であると判断すれば、安全確保のために対象を殺害してしまう可能性もある。そこに、飼い主であり、魔導的な主であるオキナがいれば、ケイトを従わせる切り札となり得るし、彼女が同行するならソージやタツミ、そしてアオイも同行する方が良い。そして、このメンバーが揃うなら、そもそも不確定要素となりうる魔獣専門のハンターなぞ不要だろうという判断だった。
四人は発電所の職員に案内され、管理室から専用通路を通り、魔導排煙装置の中央に仮設されたプラットフォームへ移動する。そこは工事用の照明に照らされた円筒形の空間。周囲の壁は煤で黒く染め上げられており、直上に空が丸く見える。ここは突端に近い、長大な煙突の内側だった。火力発電そのものは、天然ガスを使用した科学的なものだが、ここを通る燃焼後の排煙は、魔導的な触媒効果により浄化され、基準値以下の排煙として放出される。今回は、その魔導装置を稼働させるための魔力を、変形する呪紋魔力に使用しようというわけだ。
探索行に参加するメンバーのうち、後衛となるオキナとアオイは、ジャングル探検で着るような厚手の上着とスカートに防弾ベスト、ヘルメットとヘッドランプ、手袋に、厚底のブーツを装備。オキナは食料や医薬品、ロープなどが詰まったバックパックを背負い、アオイは端末操作用の、箱型のケースに収納された引き出し式のキーボードと、茶色い革張りの特大エルグノートを背負う。特大エルグノートには通常の業務用エルグノートとしての機能の他に、通信機やカメラ、マイク、各種計測器など、探査装置としての機能が含まれる。通信さえ疎通すれば、遠隔地からでも調査分析が行えるようになっていた。
前衛となるのはソージとタツミ。ソージもヘルメットとヘッドランプは標準装備。ツナギの作業着を着て、腕と脚に合成樹脂製のプロテクターを装着。胸には防刃、防弾ベストを着ている。手には鋲がついた革製のグローブ、足は鉄板入りの安全ブーツ。あとは、オキナと同じく食料やその他装備品が詰まったバックパックを背負う。
もっとも軽装なのはタツミ。防具と言えるものは額に巻いた鉢金のみで、薄茶色の全身タイツの上から、スリットの入ったジーンズ生地のワンピースを着て、小型のザックを背負い、手袋を嵌め、軽そうなシューズを履いているだけ。全身ガッチリ固めたソージに比べると、何ともシンプルな、機動性重視の装備だった。
四人の準備と、後方支援体制が整ったのを確認した所で、ソージはグロスを立ち上げ、改良したスパイラルダガーの起動イメージを選択。着彩され、黄金に輝く野戦魔法が煙突内部に架空する。独特の叩きつけるような駆動音が、煙突の内部で反響を繰り返す。
横で、アオイが引き出し式のキーボードを広げ、大型のエルグノートをディスプレイ代わりにして、呪紋魔力の状態をモニタリングしている。これは本来、架空を行う術者自身が行えば良いことだが、魔導的感覚を喪失している彼には、機関士に相当するアオイのバックアップは不可欠のものだ。
「出力、臨界に到達。誤差、許容範囲内。根源たる魔力、架空維持可能水準を維持。状態、安定してる」
アオイの報告とソージのエルグノートに転送された情報を見る限り、消費念量の問題はないようだ。
スパイラルダガーをアイドリング状態で維持し、規定時間が経過すると、唐突に呪紋魔力が変形を開始する。
「変形開始を確認。魔力濃度、低下してる。魔力の過給開始」
アオイの言葉に合わせ、直上の丸い空間に、大きな魔導構築物が架空される。ソージによって黄金に着彩されたそれは、パイプを組み合わせて造った、パラボナアンテナを思わせる構造体だった。
これはドップラウンダーと呼ばれる、魔導排煙処理装置へ効率的に魔力を供給するための呪紋魔力。人間が架空しているのではなく、魔導装置が自動的に構築しているものだ。円蓋の中央部部に集積した魔力が、シャワーのように降りそそぎ、変形中のスパイラルダガーへと供給されて行く。
一分後。
再び姿を現す、魔導力の門扉。国際魔力協会から新たに付与された名称は、次元隔壁、オーメド・ケイオード。今回の構造体には、新たに魔導過給器が追加されていた。新たなデバイスを付加したことで、架空時の消費念量は増加したものの、次元隔壁を維持するための消費を抑えられるため、トータルでコストを抑えることが出来る。魔導過給器とドップラウンダーのおかげで、変形後も架空状態は安定していた。
ソージが告げる。
「架空完了。ミス帝田、バックアップ側への制御権委譲を頼む」
「うん……オーメド・ケイオードの架空トリガを委譲。制御権委譲を要請……承認……承認確認」
報告通り、ソージのエルグノートに委譲完了のログが流れたことを確認し、彼は集中を解く。これ以降は、ソージ自身の魔力を媒介にして呪紋魔力を維持する必要はない。次元隔壁の先でケイトを探索する間、門扉はバックアップ側で維持され続けることとなる。
「転移領域接続開始」と、ソージ。
「うん。転移領域接続開始」
復唱の後、アオイがキーボードを叩くと、次元隔壁が鳴動し、黄金の輝きが増す。
「コネクションを確立。接続品質を検証中……確認」
「よろしい。では、門扉を解錠」
「うん。ロック解除開始」
ソージの指示とアオイの復唱がなされた後、オーメド・ケイオードを閉ざす、四十六本の閂が、ガラス棒を打ち合わせたような音を立てて、右上隅から時計回りに外れて行く。
「解除完了。中間領域の大気組成、確認……問題ない」
扉の先で、いきなり目的地に繋がるわけでなく、まずは緩衝地帯である中間領域へ移動し、いったん入口側を閉止した後、目的地へと再接続を行う。この中間領域までは、安全に移動出来るということだ。
ソージは告げる。
「入力側門扉、解放!」
「オーメド・ケイオード、内向入力側門扉、解放」
アオイの操作で、次元隔壁の扉が四つに分割され、四隅のヒンジを支点として十字に開く。
扉の先には、暗く澱んだ通路が続く。魔力の扉が見えていなければ、空間にぽっかりと四角い穴が空いているように見えるだろう。
唐突にオキナが「アレ? なんか扉の先に通路っぽいのが続いてますね」と、脇へ移動しながら指摘する。
言われてみればなるほど、門扉を斜め横から見ると、扉の先から魔導構築物の四角い通路が延び、煙突の壁面を貫いている。
「あれは転移先へと続く緩衝地帯です。通過するために魔導的資質は必要としませんから、誰でも入れるはずです。行ってみましょう」
「ハ、ハイですね」、とオキナ。
「じゃ、行こうか」、とタツミ。
「うん」と、大型のエルグノートとキーボードを背負いながら、アオイ。
ソージとタツミを先頭に、四人は次元隔壁をくぐる。ひんやりとした風。自身で指摘した通り、魔導的に存在する通路は光学的に視認出来る上に、物理的に踏みしめて歩むことも可能だった。架空された壁面の向こうに、煙突内部の空間が透けて見える。通路は物理的な構造を無視して、壁面の先へ続いていたが、阻まれることなく進むことが出来た。
しばらく歩くと、不意に視界が開ける。
壁面から透けて見えた先は、ユーケイザス第四火力発電所、魔導排煙処理装置が設けられた煙突の外。バリオン市国の夜景を一望出来る、クルサクル湖の直上だった。
「ひうっ!」
たまらず、オキナがタツミの背中に貼りつく。落命確実の高さだ、恐怖を感じても無理はない。しかし、物理的に移動出来るはずのない、煙突の外部へ移動出来ているという事実が、ここがすでに異界との中間領域であることを物語っている。
ソージは、わずかに芽生えた恐怖を理性でねじ伏せ、「大丈夫です、進みましょう」と告げた。
クルサクル湖中央部へ向けて伸びた通路の外側には、湖の四方に設置された、残る三基の火力発電所が見える。東部のユーリエス第一、西部のオーカイブ第二、北部のユーブネグ第三、そして背後に、出発地点である南部のユーケイザス第四火力発電所。燃料である液化天然ガスは、幻想時代に市国北部に穿たれたという大斜坑を通じ、麓の精製施設から供給されている。水力、風力、太陽光発電も併用されているが、この四基の発電所の内、通常時で二基、ピーク時でも三基で、市国内すべての電力需要を賄うことが出来た。
発電所で作られた電気の一部は、市国内を地上と同水準の大気圧に保持するための、魔導与圧施設の動力源として用いられている。この施設は電力と魔力の両方で稼働し、万一、電力供給がストップしても、魔力により市内の大気圧を一定水準に維持することが出来る。
科学技術の進歩により、魔導技術への依存度は低下しつつあるが、先端分野における魔導技術の優位性は、いまだに揺らぐ気配はない。最新の研究でも、科学技術がすべての魔導技術に追いつくためにはなお、数十年から数百年以上の研究が必要とされている。もっとも、本当にすべての分野で科学技術が魔導技術に追いつくのは不可能ではないかと、ソージは思うのだが。
千年前の最先端技術である次元隔壁を、四人は進む。徐々に周囲の景色が薄れて行く。これが異界への転移という奴なのだろう。感覚的な距離としては、クルサクル湖中央部、レトネック岩礁の辺り。
そこに、対向側の門扉があった。通路はいつしか灰色に染まり、外側が透けて見えることはない。アオイが背負ったキーボードを引き出し、大型のエルグノートを広げて状況を確認する。対向側も、大気組成に問題はないようだ。
扉の向こうがどこへ繋がり、何があるかはわからない。ソージは戦闘用の呪紋魔力がすぐに発動出来るよう準備をし、一同に告げる。
「いきなり戦闘になる可能性もあります。フロントはタツミ。ミス刻藤とミス帝田とは私の背後に。私は防御と遠距離攻撃を担当します。よろしいですね」
一同が了解するのを確認し、彼は指示を出す。
「出力側門扉、解放!」
「オーメド・ケイオード、対向出力側門扉、解放」
閂が、時計回りに次々と外れ、次元隔壁の出口が開放された。