
── その四、鯖斗の夜、樺良が微笑う ──
★ Illustration Top:04 ★
一
そして千春御ミキは、大きくのけぞった。
中学生のわりに豊かな胸元から、巨大な剣が生えている。
銘を幻我、呼んで超級幻我。
剣を振るうは王鳥すわん。
少し前を歩いていたミキを、すわんはおもむろに剣で貫いた。
「かァ、はッ……」
ミキは紅い蒸気の塊をひとつ、吐き出す。
それが合図であるかのように、剣から真紅の蒸気が吹きあがる。
やがて蒸気の噴流がおさまり、周囲の景色が明確になるころ、すわんは剣をぬき、膝をついて崩れ落ちそうになるミキを抱きかかえ、ほっと息をついた。
二
「この島を西洋人が発見したとき……チキューケナシザルの言葉とはいえ、視野の狭い表現だな……島の大半は荒れ地となっており、島民はごくわずかだった。そして、もっとも特徴的だったのが、巨大な石像が無数に存在していたことだ。誰が、一体なんのために?これは長い間のミステリーであり、なんでも超古代文明や宇宙人の仕業にしたがる連中に、格好の素材を提供していたのさ」
谷々樺良は、ひさびさに訪れたペットクラブの部室で、三ヶ月ぶりに部長として講義をしていた。
樺良の前では、王鳥まひるや時央紀之といった現在の《猫と狩人》の中核をになう面々が、じっと彼のはなしに耳を傾けている。
「だが実際はどうだ?最新の研究によれば、これらの巨像は当時の技術力でも製作可能だったのだ。ただ、巨像を建立することに腐心するあまり島中の木材資源を食い潰した結果、政治機構は瓦解し、過去の栄華を忘却したわずかな人々だけが残る、不毛の大地になりさがってしまった、というだけのことだ。いわゆる、ありえない遺物というやつの大半は、非常識な手間と時間をかけさえすれば実現可能であるということが多い。つくづく、チキューケナシザルって奴らは自分たちが生きてる時代や場所の常識でしか、物事を判断できない連中ばかりだな……話をもどすが、いま話した例と同様に、人間が繁栄の代償として生み出した不毛の大地というのは、規模こそちがえ人類開闢以来、四大文明を経て近現代いたるまで、世界中に普遍的に見られるものだ。かつては豊かな森だった場所が、あるときは建材として、あるときは燃料として、紙の原料として、さまざまな理由で不毛の大地に変えられている。もちろん、そこに生息している愛らし~い動物たちも犠牲にしてな!!」
例によって、樺良は愛らし~いというフレーズに特別の感情を込めていった。
「今日はこれまで……なにか質問は?」
「はいっ!」
そういって手を挙げたのは、都院Bこと時央紀之。
「なんだね?いってみたまえ」
若干、不機嫌そうに応える樺良。
「はい、地球の環境が悪化したのは、人間が文明活動をおこなうせいだと言われましたが……」
「だからなんだ?」
「そもそも、現在の地球は砂漠化が進んでいて……」
「この惑星が砂漠化しているのは、なにも人間だけのせいではなく、太陽活動や地軸の傾斜、磁極の変化といった、地球規模、宇宙規模の流れではないかといいたいのだろう!」
「いや……その……そうです、と思います」
時央は自分がいわんとすることを、十倍ぐらいの密度で言い返されて、すっかり萎縮してしまう。
樺良は貴様ごとき小物の相手などしていられるか、という態度のまま自分が提起した問題に答える。
「確かにそれはある。かつて文明が栄えた地域が、今は砂混じりのやせた土地になっていても、当時はもっと豊かな自然環境だったということが、記録やさまざまな調査によって明らかになっている。これらを総合すると、人間が自然を破壊している以上に、地球という惑星自身の環境変化によって、砂漠化が進んでいるのは事実だ……だから、どうだっていうんだ?」
「……ですから、そのなんで……」
「なんだ、はっきり主張することもできないのか!!」
だまりこんでしまった時央のかわりに、まひるが言葉を続ける。
「時央君は、なんで樺良部長は、人間だけとくべつに嫌うのか聞きたいんだと思いまーす」
人間の経済活動によって、地球が傷ついているのは事実だ。だがその一方で、地球環境自体も砂漠化する方向にある。なぜ、そこで人間だけを特別に憎む必要があるのか?
《猫と狩人》として樺良の理想を──樺良が望まない形で──実現しようとするまひるたちは、それを精神作用力による調節の結果、使命としては受け入れざるをえないのではあるが、実感としてはどうしてそこまで人間だけを排除したいのか、納得できない部分が残る。
そりゃ人間はロクなことしないかもしれないけど、なにも人間の存在自体を否定することもないじゃん。現代社会を平穏に生きようとする人間ならば、そのくらいで精神的なバランスが取れるのではないか?改善の余地は多分にあるが、無理に破滅的な考えに傾倒するほど、今の時代は腐ってはいない。まひる自身はそう考えていた。
「けっ、ド素人が!」
樺良は、まひるの質問を言下に吐きすてる。
「実際に、目の前で動物たちがチキューケナシザルどもに殺戮されてるのを、地球規模の流だなんだ、大局的な視野で判断できると思うのか!目の前で猫を轢き殺して平気な顔して走りさるような奴らを、貴様は生かしておいて平気なのか!!」
「そりゃ、イヤだけど……でも、それって人間ぜんぶじゃないと思う。それに、そーゆー風潮を直そうって人もいると思うんです。そんな人たちもふくめて、人間ぜんぶを排除するのは、なんかやりすぎってゆーか……」
なにやら、正義の味方が悪の帝王に言うような台詞。一応、彼女が最後の的なのだが。
樺良はここに、《猫と狩人》以外の人間もいることなど気にしてはいない。それで問題があるのなら、まひるが精神を調節するだけのことだからだ。
「それで僕が、貴様のその邪悪な思想に感化されたとして、貴様自身は僕の計画を実行するのをやめるのかね?」
「それは、ないけど……」
もしそうなら、まひるが四つ耳になった時点で、とっくにこの計画は白紙にもどっている。
「いいかね、王鳥君……」
樺良は急に、普段のインテリげな声音にもどり、こう続けた。
「……僕はなにも、地球や宇宙のすべてを否定しているわけじゃない。この世界には、美しいもの、尊重すべきものはたくさんあると思うよ。ただ、そこにチキューケナシザルはふくまれていない、というだけのことだ。ま、せいぜい、黒焼きがハゲの特効薬になるくらいかな……迷信だったか?」
ハゲの特効薬うんぬんは意味不明だが、樺良はそれで正論のつもりのようだ。
「……知ってるかね?地球の歴史上、その時代の生物の大半が死滅するという現象は、めずらしいことではなんだよ。もっとも有名なのは、六千五百万年前の恐竜絶滅だが、それと同規模の天地崩壊は、この事件もふくめて数億年周期で発生しているんだ。
僕のやりたいことってのはね、せいぜいチキューケナシザルただ一種族だけを絶滅させようっていう、地球の歴史から見れば、じつにささやかなものさ……君たちには大ごとらしいがね」
「さっきは、人間が動物を殺すのは我慢ならないっていってたのに、こんどは地球規模でみればたいしたことないって、そーゆーのは都合のいい理屈だと思いますっ」
必死で食い下がるまひる。でも樺良は動じない。
「主観の相違だな。僕にとっては人間以外の動物がなにより大事だが、君ら本来の精神は、人間が一番大切なんだと思い込んでるのだろう。そもそも、思考のベクトルが違うのだからしょうがないさ……どうしたね王鳥君?納得できないか?……そうだな……もし僕が、言葉で事実を歪めていると感じるならば、いくらでも君の正義を主張してくれたまえ。いくらでも相手になるよ。それを僕に、納得させる自信があるならば、だがね」
ふっと息をつき、唇を横にゆがめる樺良。
「……王鳥君、君の姉が手駒として便利なのは、細かいことにこだわらないからだろう。君も、余計なことは考えずに、自分の計画に全力をつくしたらどうだね?より有効に君の姉を利用できたものが、勝利するのは間違いないのだから……あと、最後にこれだけは、ハッキリさせておく」
威厳のある視線で一同を見まわしてから、言葉をつなぐ。
「僕は今後も全力をもって、四つ耳が跳梁する、《猫と狩人》の策謀を打ち破るつもりだ。そして君たちの歪んだ理想を打破した後に……この僕が、改めて真の《猫と狩人》を創設するっ!最後に笑うのは僕だということを、覚えておいてくれたまえ!!」
樺良は今日のクラブ活動が終了したことを宣言すると、さっさと部室を後にする。
『都院B、樺良部長の考え読めた?』
まひるは声に出さずに聞いた。
『いや、まったくわからなかった。猫君主は、どうなんだい?』
『猫君主も全然、読めなかったよ。あの感じって……』
はじめから、議論に勝つつもりのなかったまひるはむしろ、そのことのほうが気になっていた。
三
JR根岸線、柏葉駅の近く。高架軌道になっている線路の真下の舗装道路。
はじめて間近でみる戦闘の迫力に、谷々鯖斗は圧倒された。
ぶつかりあう刃と爪。
またたくまに瓦礫と化す周囲の風景。
ときおり認識が焦点を失い、何事もない日常の街だけがしか見えなくなるが、鯖斗はもう、それに惑わされない。精神作用力による調節から、完全には逃れられないだけのことである。
黒塗りの爪が、ふいに鯖斗を狙う。
狙い澄ましてというよりは、たまたま軌道上に鯖斗がいただけのようだ。
あわてない。
たとえここで両断されたとしても、すわんが勝利すれば元どおりになるから。
だが寸前、その黒い爪の持ち主、狩人名、K通──雪男らしい。夏場にご苦労なことだ──と鯖斗の間に、今までの三倍ぐらいの速度ですわんが割り込む。
すわんは超級幻我で黒い爪の軌道を逸らす。
これだけの重量級ともなると、さすがに受けとめるのは無理のようだ。
だがその一方で、すわんは自分の速度をかなり殺しているようにも見える。
その気になれば、スピードで敵を翻弄することもできそうだ。
どうも鯖斗に見せるため、わざと動きを抑えて闘っているようである。
「鯖斗君、怪我はありませんこと?」
すわんは激闘をつづけながらも、どこか余裕のある表情で鯖斗に声をかける。
「俺にかまわず、全力で闘ってくれ!……すわん」
橋脚の一つが砕ける音が轟き、鯖斗が最後に呼んだすわんの名は届かない。
なにやら最近、すわんは鯖斗のことを名前で呼ぶようになっていた。
彼女に自覚はないのだが、それは正確に、千春御ミキが沈黙したあの日を境にしている。
鯖斗もなるべく、すわん、と呼ぶようにしているのだが、まだまだ照れがあった。
それにしても……と鯖斗はいまさらながら思う。雪男って、実在してたんだな、と。
なにせ半憑依してくるぐらいだら、きっと本物もいるのだろう。
あるいは、人間の神秘的な存在を求める心が、存在体的に本来は架空の存在であるはずの雪男を、実在化させたのかもしれないが。
登場したときは、体育教師の久我山先生(三十二歳、男)だったものが、眼前で化物じみた姿に変貌する過程を見せつけられるのは、ショッキングな出来事だった。
だがそんなことも、いざ戦闘が開始されると、どうでもよくなってしまう。
それほどまでにすさまじい、戦闘。
十二戦九勝一敗二分け。これが、今日現在のすわんの戦績である。
ちなみに一敗は、谷々邸で猫君主Mとまみえたとき。二分けはいずれも敵が撤退した結果である。猫君主戦を別格とすれば、実質すわんは無敗であった。
そして、今日が十三戦目。どうやら今日も、無事に勝てそうである。
「寂 |