![]() ── その三、おミキの恋は吹きさらし ── 八
それからしばらく、《猫と狩人》はその活動を停めいていた。 あの橋の一件以来、動物虐待する人間を制裁することも、ぱたりと止まった。 まひるは二、三日は難しい顔をしていたが、やがていつものにこにこ顔の彼女に戻った。 「嵐の前の静けさ、というやつかな」とは、谷々鯖斗のコメント。 その間、すわんは鯖斗がまとめたレポートに目を通したり、鯖斗やゲンガと話をして、およその現状を把握した。また、超級幻我の能力についても、使用中の破壊活動が因果律的にキャンセルされることや、浄気的存在ですわんの上空で待機できること。剣をもっていなくても、常に浄気はすわんの体を巡り、彼女を強化していること。その他、いろいろ。 『よーは、 『ま、そう考えていいんじゃねえか』 『で、あんたはまひるの儀式でまひるに宿った、たっくさんの霊……多重 『てことは……まひるもわたしも、おんなじ力で闘ってるわけぇ?』 『そういうこと、らしいな』 『じゃ、わたしにも耳やしっぽが生えてくるの?』 『そーなる予定はないらしいぜ』 『……ちょっとゲンガ、あなたさっきから、らしいらしいって、なに他人ごとみたいにいってんのよ!そもそもあんたってゆーか、あんたたちが超級幻我にとり憑いたりするから、こんなことになったんじゃない!』 『そもそもの原因は樺良だと思うが……それはともかく、オレは、オマエの意識が生み出したものだろーが』 『だから、何よ?』 『だからぁ、オマエの知識で理解できないことは、オレにも理解できねーんだよ』 『そーなの?』 『そーなんだよ!』 『……でもこないだ、 『何のためにオレが、 『い、いーから話を続けなさいよ!』 『……だから、オマエ以外の奴ともあの姿でなら話ができるし、そこですわんが知らない知識も得られるってわけだ。だから、 『ふぅーん』 『ただな……』 『ただ何よ?』 『ただ、オレの基本的な理解力はオマエに依存しているわけだから……だから、オレが馬鹿だったり、無知だったりするってことはつまり……』 『つまり、わたしがバカだから、あんたもバカっていーたいわけ……』 『……さっしがよくて、助かるなぁ』 「どーいたしましてっ!」 「なにが、どーいたしまして、なんだ?」 「なにがって……」 『すわん、声が出てるゼ……』 『へ?……』 ツけば、目の前で鯖斗が怪訝な顔でこちらをうかがっている。 ここは演劇部の部室。今日は、超級剣姫の舞台衣装を作製するための寸法採りの日。周囲では、部の女子がメジャーですわんの体の各部を採寸していた。 すわん自身はというと、体操服姿で超級幻我を構えて十五分以上じっとさせられている。同じ姿勢でじっとしているのは、彼女にとってさほど苦痛ではないのだが、なにしろヒマなのだ。 ゲンガという話し相手がいるということもあり、いきおい内向モードに突入してしまったというわけである。 鯖斗も、鯖斗で超級剣姫が剣を構える姿がいかにカッコよくするか、というテーマに必死だったので無言のすわんにずっと同じポーズを取らせ続けていたのだ。 「あ、悪い。ずっとそのままの格好じゃ、きついよな。ちょっと休憩にするか?」 「いえ、そういう……では、少し休ませていただきますわ」 なんとなく、気まずい思いでおのおの休憩に入る。 採寸していた女子部員が、どうしたものかとオロオロしていたが、二人にそれを気づかう余裕はなかった。 九
胸元から袈裟掛けに吹き出す ばらけた制服を洗濯機で踊らせるという醜態を、どうにかごまかせてから一週間後、すわんと鯖斗が気まずい沈黙を経験してから三日後、みたび《猫と狩人》からの挑戦があった。 指定の場所──学校の屋上──ですわんを迎えたのは、なんのことはない、彼女のクラスメートの どこかの芸能人を意識した容姿、成績は中のなかほど、運動能力は人並みで、何か格闘技をやっているという話は聞かない。ちょっとクセのあるしゃべり方をするぐらいで、正直、すわんには単なるクラスメートとしての認識しかなかった。 安寿はみずからを 「もち、金魚よ!」 そんな二人を、 すわんも超級幻我を実体化させて、対決が開始された。 最初に動いたのはすわん。様子見に斬撃を打ち込む。 それに対し、 そして視界が 鋭利な傷を受けると、その直後は何も感じず、一拍おいてから痛みがやてくる。すわんの場合、それは痛みではなく重さであった。 胸元から激しく噴出する 「なぁんだ、聞いてたほど強くなーいじゃんっ」 暗転しそうになる視界の中で、その声はひどく遠くから聞こえていた。 『 まひるの視線から、闘いを 『そーかなーぁ?』 のんきな返事。 《猫と狩人》に頭脳集団を形成するという、まひるの構想の手はじめとして登用されたのは、 現在のまひるは強すぎて、すわんは太刀うちできない。その一方で、すわんはほかの《猫と狩人》たちよりは強い。この差を埋めるためには、一番強い者が弱い者を手伝ってやり、そこそこ強い者と善戦できるようにすればよいのだ。まひるはこの考えを採用した。 結果は見事、当初のまひるの思惑通りとなる。 だが、 『いくら強力な敵が必要だからといって、あれでは勝負になっていません』 『そーでもないよ、ほら!』 驍フ視界の中で、すわんが吠えた、文字通り。 「ぬぅおぉぉぉぉぉぉぉぉ、おぉぉぉぉぉぉぉう!」 そして、胸元から噴出する蒸気が紅から白に変わる。 すわんはがむしゃらな特攻をかけると、大上段で斬りかかった。 さきほどのような余裕はなかったが、それでも かわしたはずだった。 弾き飛ばされ、屋上のフェンスにめりこむ なにが起こったか、まひるだけは見ている。 振りおろされる超級幻我の切っ先のさらに先に、瞬間的に蒸気の塊が発生していた。 それは、 さらに 「ちょちょ、すわ、ちょっとタンマ」 あせる 真横になぎはらわれる超級幻我が、一瞬前まで その刃は、なおも執拗に 『いや、失敬。 まひるが冷静だったのが事態を正確に把握していたためと知り、 『 イタズラが成功したときのような、ほころんだ口調。 『わかっております』 『おねえちゃんはねぇ、テスト勉強は前の日にしかしないの。そんで、テストの範囲をぜんぶ暗記して、結構いい点数とるんだよ』 『確かに、王鳥君は暗記系の教科の成績が優秀でしたな。なるほど、追いつめられた時の瞬発的な能力によって、限界を引きずり上げよう、というわけですか。しかし……このようなことを続けていては、いつか王鳥君……いや、超級剣姫も致命的な敗北を喫することになるのでは……』 『最後はそうなってもらわないと困るんだけど……でも、それまでは勝ちつづけてもらわないとね。これは 『やれやれ、私は階級闘争の思想的補佐役になったつもりでしたが、どうやら 『イヤになった?』 『ご冗談を……それを禁止したのは 『 『お互い、災難ですな……』 『ゴメンね……』 『!?……そういう感情をもつことは、 『……いってみただけだよ』 闘いはまだ続いている。だが、もうすぐ決着が訪れることは、誰の目にも明らかだった。 十
この数ヶ月というもの、 無論、その原因は 何かきっかけが欲しい、そう彼女は考えていたが、水泳部でいそがしいミキと演劇部でこれまたいそがしい鯖斗では、接点というものがない。 手紙を書くなり、電話をかけるなりも考えたが、なんていったらいいものか見当もつかないし、それよりナニよりこいうコトは、直接自分の口からいいたかった。 寝つけない日が多くなる。恋わずらいというのが本当にあるのだと、はじめて知った。 その一方で、ミキは学校での成績と、水泳の記録を完璧に維持していた。絶好調とまではいかないものの、ほかの人間には彼女の内面的苦痛は針の先ほども感じさせなかった。 外面的には、彼女の快活さと自身に満ちた態度は揺るがなかったが、ひとたび一人になるため息が多くなり、ダークな気分になる。 以前は友人達とおしゃべるしたりすることが、楽しくリラックスできる時間だったのに、今では気疲ればかりして少しも楽しくない。 誰かに相談すれば……と思わなくもないが、すわんには相談したくないし、ほかにぶっちゃけて話ができる心あたりはない。 結局、自力で鯖斗に告白するしかない。ミキがこの結論に達したのは早かったが、それを実行するとなるとどうしても躊躇してしまう。 『俺は、王鳥が好きだから……』 鯖斗にそういわれるのは、目に見えている。 これはなにも、ミキの勝手な思い込み、とばかりはいえない。なにしろ、ここしばらくで、すわんと鯖斗がいっしょになにか話し合っている光景は、日常的なものとなっているのである。 実際は、超級剣姫の劇や《猫と狩人》との闘いについて相談しているだけなのだが、超級幻我の威力によって会話の内容が 二人はつき合っている!そういうふうに他人に思われても無理からぬことだった。 ミキにはそんな認識がある一方で、もし鯖斗が彼女の気持ちを受け入れたとしたら、それはそれですわんに悪いのではないか、という気もしている。 はっきりいってミキはもてた。今も、複数の男性から(このさい女性は員数外)交際を申し込まれている。そういう申し出に、ミキはいつも『好きな人がいるから』ときっぱりことわっているのだが、何人かの男性、特に水泳部の関係で知り合ったある大学生からは、相当熱心なアプローチを受け続けている。 それに対し、すわんは男っ気がまったくない。恋愛感情がないわけではないが、精神面が外見についていってないので、てんでダメダメなのだ。 そんなすわんが鯖斗には、あれほど積極的になっている。単に劇の相談をしているだけ、とすわんはいうが、理由はどうあれ、彼女が気楽に関われる男性は鯖斗だけなのだ。それに、たとえ今そうでないとしても、これからもそうならないとは限らない。 そんなすわんから、鯖斗を奪うようなまねをしていいものだろうか? 恋愛は自由だ、誰が誰を好きになってもかまわない。ミキもそう思う。 だが同時にその自由は、大切な何かを犠牲にして成立する自由ではないか?それは、今ある自分を犠牲にしてまで手に入れるべきものなのだろうか? なんでこんなに、谷々君のことが好きなんだろう?結局ミキは、この疑問で停止してしまう。 恋に理由なんてない。それはわかっているはずなのに、どうしてもその理由を求めてしまう。 人類の半分はいる男性の中でただ一人、谷々鯖斗のことがどうして気になるのか? あるはずもない、と自分でも思うその理由を求め、ミキは今日も生きていた。 季節は夏、 けれども、部活の練習がいそがしいすわんとミキは、しょっちゅう学校で顔を合わせていた。 それは同時に、谷々鯖斗とも顔を合わせるチャンスだったが、いつも見せつけられるのは、楽しそうに会話するすわんと鯖斗。 それでもミキは、何とか話しかけてみたりする。 「ね、谷々君。谷々君て、どうしてそんなにスゴい物が造れるの?」 われながら、つまらない質問だと思う。 「こういうのが好きだからね」 「な、何か訓練とかしてるの?」 あちゃあ~ 「別に……造りたいものに必要な技術は、そのつど思考錯誤するな」 「そっか……」 むうぅぅぅぅぅ、か、会話が続かないぃぃ。 なんてやってるうちに、 「おミキごめん。谷々君、ちょっと見ていただきたい所がありますの」 「わかった。千春御さん、もういいかい?」 「うん、邪魔しちゃってごめん……」 挨拶もそこそこに、仕事にむかう鯖斗。 「で、王鳥、なにが問題なんだ……」 こんな状態が続くともう、なんで自分が『千春御さん』で、すわんが『王鳥』で呼び捨てなんだろ?とか余計なことばかり気になってしまう。 これはマズいと思う。 なんらかの形でこの問題にケリをつけないと、どうにかなってしまいそうな気がした 。 だが、一番問題なのは、彼女自身がその問題を認識しながら、その呪縛から逃れられないということである。 いくら考えても、思考が同じ道のりをぐるぐる廻るばかり。 そんな彼女が、とうとうこの問題をすわんに打ち明けようと決心したのは、夏休みの登校日、ひさしぶりに顔を合わせたクラスメートと談笑していた時…… 「ちお、ちお、どしたの?」 「おミキ、大丈夫ですの?」 クラスメート達の声。 「……え?」 気がつくと、すわんをはじめ幾人かの女子が心配げに彼女の顔をのぞき込んでいる。 しばらく記憶が混乱していたが、どうやら意識を失っていたらしい。 その場はうまく取り繕ったが、ミキは睡眠不足と日々のストレスが極限に達したことを痛感した。 次の日曜日、すわんと買い物に行く約束をした。その時すべて打ち明けよう。たとえそれが、どんな結末になろうとも。 十一
その男子高校生は、頭にイチョウの葉のような角を生やしていた。どうやら 夏休みの登校日、場所は 「……その名も お決まりの 彼女を迎え撃つべくその少年、 十二
この 無論、その原因は ほぼ一週間に一回のペースで、まひるの生み出した《猫と狩人》の尖兵達を、 それというのも、先日谷々兄弟が、《猫と狩人》の戦術、戦略分析によって、かなりショッキングな報告を出したからである。 後にマタタビ文書と呼ばれ、コピーを入手した《猫と狩人》の首脳陣を震撼させたといわれるそのレポートは、用紙にして十枚ほどの、万年筆の几帳面な字で書かれたものである。 そこにはこれまでのいきさつから、まひるのがどういう目的ですわんに闘いを挑んでいるか、正確に分析されている……つまりは、すわんは そして、このレポートはさらにこう、分析している。 『我々が、この状況で取りうる最良の選択は、次の二つに絞られる。「1」すべての《猫と狩人》を撃破し、超級幻我の威力によって、全部をなかったことにする。「2」今すぐ闘いを放棄して、《猫と狩人》に全面降伏する。 「1」が最良であることはいうまでもないが、前述の通り、この方針は 注目すべきは、現状の王鳥すわんと《猫と狩人》達との闘いが、漫画やアニメーションでくり返し描かれている正義のヒーローと悪の組織という対立の構図を踏襲している点である。この種の物語では、物量の面で圧倒的に有利なはずの悪の組織が、なぜか戦力を小出しにした結果、正義のヒーローを鍛錬することとなり、当初の戦力差ならば容易に倒せたはずの正義のヒーローに、最終的には悪の組織が壊滅させられる、という流れが大筋となっている。 だが、忘れてはならないのは、《猫と狩人》は勝てるという確信的打算によってこの闘いを仕掛けているのに対し、我々には最終的に勝利できる確信などないことである。 神風に代表される奇跡によって形成逆転がされ事実は、確かに存在する。しかし、それはあくまでも偶然が生み出した結果にすぎず、正当な実力差による正当な結果ではない。逆に言い換えれば、奇跡とは、当事者が予想しきれなかっただけであり、絶対的な客観性をもって物事を把握できるならば、決して奇跡などという超自然現象は存在しないのである。 物事を計画、運用する者は、現実に起こり得るできごとを可能な限り想定し、たとえそれ以外の事態が発生しても対処できるだけの人的、物的な備えをすべきである。この点に関し、 現状で 現在の我々が早急に成すべきことは、最終局面に達する前に、《猫と狩人》が勝利を確信する根拠を把握し、それを打破する方策を立案することである。 監修:谷々樺良 執筆:谷々鯖斗』
結局、 たまらずすわんは、まひるにこのことを聞いてみた。 「まひる……これって、本当なのかしら?」 居間でポテチをかじってバラエティ番組を見ていたまひるはレポートを受け取ると、眠そうにしながらも、さらさらと目を通した。 「う~ん……」 唸ってから、まひるはレポートをすわんに返すと、ちょっとまってて、と言い残していったん自室にもどり、すぐに何やら紙切れを持って戻ってきた。 「えーと、それについてはね……」 そういいながら、すわんのレポートと同じぐらいの厚さの紙の束──ただし、こちらはプリンターで印字されている──をぺらぺらとめくっている。 だが、いつまで待っても、まひるはレポートをせわしなくめくるのをやめない。 「いつまでやってますの……ちょっとお見せなさい」 ばさっ 「あっ……!」 いうなりすわんはまひるから、その紙束をひったくった。 その表紙には『超級剣姫への質疑応答書』と書かれている。中はQ&A方式で、まひるがすわんに《猫と狩人》のことで質問された場合の模範解答が記されている。 たとえば…… >問8: 『《猫と狩人》の最終的な目的は、具体的にどういったものですか?』 >答8: 『その件については、私の一存では答えられません。ですが、あなたが闘いを続けていれば、いずれ明らかになるでしょう』 >問15: 『あなたは >答15: 『私は >問38: 『《猫と狩人》の構成員の総数はどれぐらいですか?』 >答38: 『今日現在で、千三百二十七名です』 とまあ、こんな具合で質疑応答例が記されている。 面白いのは、模範解答の下に赤いボールペンで、プリンねこの落書きなどといっしょに、まひる自身が『まひる語訳』を書いていること。 たとえば上記の三つの質問については…… >問8: 『《猫と狩人》の最終的な目的は、具体的にどういったものですか?』 >問8のまひる語訳: 『うーん、そーゆーことって、まひるがカッテに答えちゃダメなんだよ。でも、おねえちゃんがずぅーっと勝ってれば、そのうちわかるんじゃない?』 >問15: 『あなたは >問15のまひる語訳: 『そーハッキリ聞かれちゃうと、まひるもよくわかんないよ』 >問38: 『《猫と狩人》の構成員の総数はどれぐらいですか?』 >問38のまひる語訳: 『たくさんいるよ』 最初はまじめにに訳しているのだが、最後のほうになると 『あんた、 めんどくさいので、すわんは心でそう考えて、まひるに読み取らせた。 この頃になると、すわんは 『別にいーって言 まひるは、ふー、困ったもんスよ、というジェスチャーをしながら答える。 『あんたも大変ね。そりゃそうと、さっきのレポートの内容はどうなのよ?』 『んーとねぇ、かなり合ってると思うけど……こーしきな回答は、みんなに相談してみないと……』 『だったら、それコピーして読んでもらってよ』 『そんなことしていーの?』 『いーんじゃない?まひるにはもう、見せちゃったし……』 そういわれてレポートを渡されると、まひるはそれを家庭用のファックスのところに持っていった。そして、レポートを綴じているホッチキスを、落ちていたゼムクリップで器用に外すと、まず一枚目を機械にセットして、コピースタートのボタンを押しす。 ぶーん、にょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごごごごごっ。 「次ノ用紙ヲせっとシテクダサイ、ぴーっ」 ファックスの指示に従って、まひるはせっせと用紙をセットした。 都合十回、紙を吸っては吐き出すと、コピーがうすっぺらいファックス用紙に、トイレットペーパーのように続けて出力されていた。 じょりっ やっぱりトイレットペーパーのように切り取ると、まひるはそれをくるくる巻いて、端っこをセロテープで留めた。 ばらばらになったレポートは、さっき外したホッチキスの針をふたたび同じ穴へ差し込んで、キチンと綴じ直してからすわんに返す。 「ありがと、おねえちゃん。なんならこれもコピーする?」 まひるは、自分の質疑応答集をひらひらさせながら聞いた。 「では、お願いしようかしら……」 ぶーん、にょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょごごごごごっ。 その日、王鳥家にはファックスのスキャン音が響き続けた。 翌日、飛翔が気づいた時には、ファックス用紙はほとんど残っておらず、買い置きもちょうど切れていたため、会社帰りに横浜駅前の安売り電気店へ寄らなければならなくなり、いつもより帰宅時間が三十分ほど遅れるのである。 かくて、世界の運命を賭けて闘う二人の少女は、双方の極秘文書を入手するという偉業をなしとげる。その後、双方の首脳陣は入手した文章の内容と、自分達が頼む少女のあまりにずさんな情報管理に、頭をかかえたのである。 十三
六角形の自室を埋め尽くしているがらくたは、一見無秩序にならべられているようだが、実際は彼にしかわからない分類で、超級剣姫関係と《猫と狩人》関係、この二種類のものにきっちり分けられている。 今は超級剣姫関係の仕事で、すわんが舞台で着る衣装デザインのスケッチをやっていた。造形が本業ではあるが、身近に鯖斗が納得するデザインを起こせる人間がいないので、必然的にデザイン作業も自分でやることになる。 鯖斗は体をひねって腕を伸ばし、指先で必要な資料を手にとると、作業を再開した。 劇の準備と、闘いのバックアップという仕事を両立させるのは、鯖斗にとってもかなりの負担である。だが、それでもこうあれこれ起こりまくるといい加減、自分なりのリズムというものができ上がってくる。 要は、何をやるにしても同じリズムを守ってやればいいのだ。世界の運命がかかっていようがいまいが、すべて自分のペースでこなせばいい。 自分ができる範囲で最善をつくす。向上する努力は常におこたらないが、できないものは、できないである。それでいいのだと、最近やっと確信できるようになった。 鯖斗はふと、もう一度顔を上げた。 なんとなく、いつも彼に話しかけてくる少女、 水泳部のホープなだけあって、見事な逆三角形に鍛え上げられた肢体。彼女の体型に合う舞台衣装はどんなものだろうか?漠然とそんなことを考える。 頭の中でラフデザインが完成すると、そういえば、なぜ彼女はなにかにつけて自分に話しかけてくるのか、ということが疑問に浮かぶ。すわんに会いに来たついでかもしれないが、なんだかんだで、彼女と会話した記憶が結構あった。 意識しすぎだろうか?と鯖斗は思う。 なにしろすわんやミキは、口をきいただけでほかの男子生徒に嫉妬されかねないという、 なにかひっかかるものはあったが、鯖斗のミキに対する認識はその程度のものでしかない。 十四
彼はベットに寝ころがり、ラテン語で書かれた古書のページを繰りながら、肉球と 「……ちん……ワシ、あんたのこと、好いちょるんよ」 そのときの樺良の顔立ちは、どこか偉大な四畳半の住人を そしておもむろに、ここしばらく、思考の片隅に懸案として常駐していた、 十五
日曜日、すわんとミキの二人は、隣町の石川町にやって来ていた。 大船寄りの改札口から出ると、川と高速道路に平行してある、元町のショッピング街をぶらぶら歩く。 このあたりは中華街にもちかく、マリンタワーや山下公園へも徒歩でいけるという場所なので、すわんもミキもなにかと声をかけられることが多い。 だが二人が一緒にいると、なぜか声をかけられる回数が少なくなる。彼女ら一人ひとりなら、なんとか相手をしてみようという気になれるのかもしれないが、この二人がコンビを組むと、なまなかな自信では声がかけられないようだ。 すわんはロングヘアーをうなじでまとめ、スカイブルーのワンピースドレスに、ヒールの高い、角ばったデザインの黒いエナメルサンダル。 ミキはいつものショートボブの髪にサングラスをのせ、白いキャミソールに黒いベルボトム。足は 上背があり、年齢不相応の容姿をもつ二人が私服になると、もはや彼女らは女子中学生には見えない。もともと三十近くなっても、十代にしか見えない人間がめずらしくない日本人のこと、二人を二十代前半ぐらいのモデルかタレントと勘違いする人間は、少なくなかった。 日ざしが強い日中を避けて、二人は午前中のうちに買い物を済ませる。 どこかで昼食をとってから、横浜(駅周辺)へでもくりだそうかという話になり、とりあえず昼食がてら駅前のコーヒーショップに入った。コーヒーがメインの店ではあるが、なかなかに気合いの入ったホットドックのようなサンドイッチを出す店で、あちこちにチェーン店がある。 間接照明を多用した落ち着いた雰囲気の店で、女子高生やアベックなどよりむしろ、一人で読書をしているような客が多い。 二人はそれぞれ注文の品を受け取ると二階にあがり、窓際のカウンター席にすわる。クラシックが流れるシックな雰囲気に、ちょっと もっとも、二人の会話の内容は 「あずささん、本当にさっき買ったやつを使うのかな?」 ミキは、ミルクが混ざりきっていないアイスコーヒーを一口吸ってから、となりにすわる、大人びた少女に聞く。 「これのことですの?」 そういってすわんが紙袋からごそごそ取り出したのは、ピンクの 「そう、それ……会社で使うの?」 「そういってましたわ」 「気合い入ってんのねぇ」 あいかわらず飛んでるなぁとミキは思った。 結婚しても、総合職(課長や部長に昇進できる扱い)で仕事を続けているというあずさを、ひそかにエラいと思っているミキであったが、彼女が会社でどんな顔をして仕事をしているのかは、まったく想像がつかなかった。 なにしろ、王鳥家の最年長者であるあずさ(姉さん女房なのだ)が一番、精神年齢が低いというのだからスゴイ一家である。 ミキがはじめて王鳥家に遊びに行ったとき、うっかりあずさを『おばさん』呼ばわりして、すごく嫌がられことがる。以来、ミキは彼女のことを『あずささん』と呼ぶことにしている。さすがに、彼女がリクエストする『あずさちゅわん』コールは、ミキにもちょっとキツかったが。 自分用としては、すわんはTシャツや下着類と小物が数点、ミキは遊び用の派手な水着と、秋もののセーターを少し早めに買った。 二人とも、回復力を上回る過度な訓練は、結果的に肉体をボロボロにしてしまうというスポーツ医学的な観点から、日曜日は完全休養が義務づけられているが、そうはいってもいられない場合もけっこうあるので、そろってでかけることはそう多くない。 そのためか、ふだん学校では話せないような種類の話を、結構長い時間話すことになった。 その間に、ミキはなんとか本題を切り出そうとチャンスをうかがっていた。 とりあえず、スキャンダラスな話題をふってみる。 「まあ、 ちょっと小声がちに、すわんは聞き返した。それからシーフードサンドを口に運ぶ。 「そーそー、 やっぱり小声がちに答えながら、ミキもすわんのまねをして、ひな鳥の黄金焼きサンドを口に運ぶ。彼女としては、上手に食べているつもりなのだが、どうしてもパンくずがこぼれてしまうし、若干かぶりつく格好にもなってしまう。 すわんは談笑しながらも、惚れぼれするような優雅さで、自分のシーフードサンドを平らげていく。以前、同じものを食べたことがあるが、小さなエビやら貝柱のマリネやらがレタスと一緒にはさんであって、こぼさないようにするのが異様に大変だったと記憶している。 どうやったら、あれほど美しく食べられるのだろう?しかも、無意識のうちに。 十六
かれこれ二時間近く経過しただろうか。 すわんとミキの雑談は続いていた。 横浜へ出るとの話もどこへやら、二人の会話はクライマックスを迎えようとしている。 「そういえば、おミキって誰か好きな人っていますの?」 すわんのなにげない質問。 チャンスだ!ミキはそう思う。 ミキはすわんにそういう質問はしない。それがわかっているからか、すわんはまったく気負ったふうはない。 「そりゃもちろん、いるさっ」 できるだけ普通に、おどけた調子でミキは答える。 内心では動悸が高まり、手のひらがべとつく。 「まあ? 「その前に……すわ、ちょっと聞いていい?」 そこから先、ミキはどう会話を進めるかのシミュレーションを完璧にしていた。以降は、ミキの想像上の会話である。 「なにが、聞きたいんですの?」 すわんはまったく予期していない。 「すわは、谷々君のことどう思う?」 「谷々君、て……どっちの谷々君?」 目をまるくして、まぬけな質問をするすわん。 「そりゃ……そ、そりゃ、お、弟のほうに決まってるじゃん」 自分で考えても、さらりといえるとは思えない。 「弟って……谷々、鯖斗君?」 「そう、鯖斗、君」 ミキの告白に、しばらく沈黙するすわん。 「おミキ、あなた……あ!ああ、ああ、ああ。そーゆーこと、そゆことですのね」 「ウン、そゆこと」 「それでぇ、なにかと口実つけて、演劇部に顔出してたのね」 「……そうなの」 こうなっては、ミキはどうしても自分がまっ赤になることしか想像できない。 「へー、ふーん、そーですの、ほーはーふぅー」 「んでね、すわ……」 「うん、うん、うん、なに?」 「鯖斗君に告白しようと思うんだけど……その……いいかな?」 「いーもなにも、じゃんじゃんやりなさいよ!応援するよ!なんなら私がセッティングしましようか?」 「ううん……そういうことは、自分でやる」 「そう……でも、そうなんだ……で、なんで谷々君のことが……なの?」 「なんでっていわれても……好きになっちゃったものはしかたないじゃん。じゃあ、すわはあたしが谷々君に告白してもいいんだねっ」 「なんで、私に聞くの?おミキの好きになさいよ」 「……じゃ、告白する」 「ガンバってね!」 「ん、がんばる……」 多少の差はあれ、すわんがこの話を聞けば、そんな反応をするのは目に見えていた。 恋愛に興味はあっても、実際に自分がその問題にかかわっているなどとは、これっぽちも考えない。 すわんはそういう少女である。それがわかっていながら、これまでミキはそれを躊躇していた。 そのことですわんとの友情が壊れるとは思わない。だが、すわんに好意を寄せる少年を、むりやり自分に振りむかせることに、罪悪感を感じていたのも事実である。 それでもミキはこのことを、すわんに告げる決意を固めていた。そうしないと、自分が壊れてしまうから。 十七
ミキがすわんに、鯖斗への思いを打ち明けようとした五分とすこし前。 他愛のない話を続けながら、すわんは不穏な気配を感じていた。 最近、よく感じるようになった、 すわんは窓の外の商店街に目を走らせる。 その視線が止まった先で、一人の少女がすわんを睨みつけていた。 小学校五、六年生くらいの少女は、遠目にも怒っており、やがて憎悪の意識がすわんを捕らえた。 『よくも……よくも、よくも、よくも……お兄ちゃんを殺したなぁ!』 『なによそれ……お兄ちゃんて、どーゆーこと?』 『るさい!だまれ、死んぢゃえ!』 『そういわれても……』 理由もわからず、途方にくれるすわんに助け船を出したのは、なんとまひるだった。 『 『ちがうっ! 『そーはいっても、負けちゃったんだから、しょーがないよ』 『ちょっとまひる、一体どうなってんの?』 『あのね……』 まひるの説明では、今日の対戦相手である 『てゆーことなんで、ちはるお姉ちゃんとのお話しが終わってからって思ってたんだけど、いますぐこの子と闘ってくんないかなぁ』 『でも……』 『いーから、さっさと出てこいっ!』 ここですわんは、思考を もうゲンガとの思考会話は、まひるたちには認識できない。 『なにグズってんだよ、すわん』 『だって……ここであいつをやっつけるのって、結局まひるの思うツボなんでしょ』 『だがよ、たとえそうだとしても、オレたちゃ逃げるわけにゃいかねえだろ!』 『闘わないで、降伏する方法もあるって谷々が……』 『それで、どーなるってんだよ。ただ、 『どーせ勝ったって……まひるの……』 『オイ、そんなハンパな気持ちでアイツと闘ったって、 『そしたら……したら、まひるの計画もダメになるんじゃ』 『だからって、ワザと負けてくれるような相手じゃないだろが!』 沈黙 『……えーい!うん、もーメンドくさい!わかった、いいよ、やる!』 かなりヤケクソ入りながらも、すわんはふっきった。 『そうそう、難しい理屈は鯖斗がなんとかしてくれるさ!』 『おーけー!ほんじゃ、行こかぁ!』 それはちょうど、ミキが一世一代の決断をすわんに告げる寸前のことであった。 ミキとの会話は、あたりさわりのないことを適当に受け答えしていたので、実際になにをしゃべっているか、ほとんど自覚していない。 だから、自分がミキに恋愛の話をふったのも、ほとんど無意識のことだった。 「そういえば、おミキって誰か好きな人っていますの?」 「そりゃもちろん、いるさっ」 うわずった声で、必死に平静を装うミキ。 普段のすわんなら、ミキのこういう姿を見れば、いくらなんでも異変に気づいたかもしれない。 「まあ? だが、いま彼女の関心は窓の外の少女にあったので、あくまでも他人ごととして、すわんは聞いた。 「その前に……すわ、ちょっと聞いていい?」 『そうそう、難しい理屈は鯖斗がなんとかしてくれるさ!』 『おーけー!ほんじゃ、行こかぁ!』 すわんはちょうど、そう考えていた所だった。そのため、ミキの言葉に反応するのが一瞬遅れる。 沈黙するすわんに構わず、ミキは話を切り出した。 「すわは、谷々君のことどう思う?」 対するすわんの反応は、ミキが予想だにしなかったもの。 それはなに気ない、一言。 「……え?鯖斗がどうかしたって?」 ひゅうううううううぅぅぅうぅぅぅぅうぅぅぅぅぅぅ~ 真夏の日、ミキの心に寒風が吹いた。 なにかに注意がそれた時の、ごくごく無意識下の言葉。 そんな時のすわんの言葉こそが、偽りのない彼女の真実の声であることを、ミキは知っていた。 「ごめんなさい。ちょっといいかしら?」 トイレに行くふりをして、すわんは席を立った。 ミキは沈黙している。 しばらくして、すわんと それは常人には認識できない出来事であり、誰も二人の死闘に気づきはしなかなかった。 だがもし仮に、人々がこの状況を認識できたとしても、パニックに陥る群集の中でただ一人、ミキだけは何の反応もしめさずに、じっと沈黙していたことだろう。 それほどの、沈黙。 「おミキ、おまたせ。これ、食べて」 そういって、すわんがホットドックとアイスティーを二つずつ、トレイに載せて戻ってきたとき、ミキはなにごともなかったかのように彼女を見た。 「おかえり……せんきゅっ」 かすかに微笑みながら、ミキは応える。 「ふぅー……あ、そういえば、さっき聞きたいことがあるって言ってなかったかしら?」 アイスティーにシロップを入れながら、急にそれだけを思い出して、すわんは聞く。 ミキを沈黙させた一言は記憶にない。 「うん……まあ、その……どうやったらすわみたいに、上品にサンドを食べられるのかなって、思ってさ」 目線を外しがちに、ミキはそう、返事をした。 「なあんだ、そんなことでしたの……簡単ですわ。まず、こうやって背筋をのばして……」 「ふん、ふん……」 ミキは興味深げに、すわんの講釈を聞いている。 結局四時すぎまでおしゃべりしていた二人は、横浜へは出ずに、そのまま家に帰ることにした。 十八
夏休みが明けて九月、すわんはあまり親しくないクラスメートから、ミキがある大学生と交際している、という話を聞いた。 |