![]() ── その二、まひるが人類の敵になった日 ── 九
まひるには、そのあと自身に起こった変化が理解できなかったが、自分の中にランジェロの意識が満たされて行くのを感じ、ほわーっとした表情で幸せに浸っていた。 「やった、儀式成功だ!」 ペットクラブのだれかがそう、叫んだ。 それと同時に、部員たちは衣装を脱ぎ捨てて、まひるたちの周囲に集まった。 状況がわからないまひるをよそに、部員たちは盛り上がりまくっている。 となりの 部員の一人が手鏡を取り出して、まひるに貸してくれた。見ると、そこに映ったまひるの頭には、ちょこんと白黒茶まだらの猫耳が生えていた。 手でふれてみると、さわった感じが自分の指と、頭の猫耳と両方あった。軽くつねってみても、やっぱり自分の体の一部としての感覚がある。 鏡を見たり、自分でさわってみたりすると、耳のほかにも、目が吊り上がり、瞳孔が縦長になり、そのほか体のいろいろな所が、微妙に猫っぽく変化している。 そのとき、まひるの背後に立つ誰かが、彼女の尾骨から伸びたモノに触った。 「ぅひゃっ!」 その感覚に、まひるは思わず声を上げる。顔だけうしろを向くと、それに触った部員がぎょっとした顔でまひるを見ている姿とともに、スカートの下から生えた猫しっぽの先が、ゆらゆらと揺れているのが見えた。 猫化は全身におよんでいるな、とまひるは思った。 そういえば、ものの見え方や音の聞こえ方もすこし変わった気がする。どこがどうとは、わからなかったが、たぶん猫としての能力が、人間としての自分にプラスされているせいだろう。 「……!?」 なんでそんなことがわかるの?そう自分に問おうとして、まひるはいま自分に起こっていることで、わからないことがないのに気がついた。 疑問に思うことがない……。 その事実にも驚かなれければならないのに、精神はいたって平静。しかも、なぜ自分が驚かないでいられるのか、その理由すら知っている気がした。 まひるは自分の知識を探ってみた。 半憑依……樺良の考えによれば、 肉体を失った まひるはなんだか、生まれてこのかた、使ったこともないような言葉……ひょっとしたら知りもしない言葉で考えている気がした。 そう思いながら、彼女は自分がランジェロの そしてこの状況を理解し、なんの疑問ももたない理由。 これにより、完璧な支配を行うと同時に、必要な知識を植えつけることもできる。 つまり、半憑依の際に植えつけられた樺良の知識によって、いまの状況を理解しているのだと、まひるは思った。 そして、こんな目に遭っているのに、ちっとも まひるは、自分が聞いたこともない知識をもっていることがおもしろかったので──この状況を恐れたり、不快に思うことは禁止されている──秘密結社《猫と狩人》の概要や、 だが、まひるがそうやって まず、半憑依の儀式が成功したのは、今回が初めてということ。当り前のようにやっていたが、実は何度も失敗していたようだ。ほかの部員が樺良に服従しているのは、あくまでも樺良個人のカリスマらしい。 ただし、 谷々樺良があれだけ問題行動を起こしながら、なぜ学校側の対応が鈍かったのか……つまり、そういうこと。 一人を絶対服従させるよりも、特定の事柄を多数の人間の目からそらすことのほうが、容易なようだ。 そしてもう一つは、王鳥まひると では、まひるはなにをすればいいのか? いくら知識を探っても、まひるにはこれといった能力は与えられていない。《猫と狩人》に関する知識は、相当深いものが与えられているようだが、知識だけあったところで、まひるには活かすすべがない。 どう考えても、まひるは《猫と狩人》の知識をもった、猫耳娘という以外に役割がない。 ひょっとして自分はただのマスコット?と考えかけたまひるは、それもチョット違うのに気づいた。 それは、樺良がまひるに与えようとした知識ではないが、無意識のうちにまひるに流れ込んだ感情。 「うげえぇぇぇぇ……」 その感情を読み取って、まひるは思わず、口に出して不愉快さをあらわにした。 いつしか部員たちは、なにやら考え込んでいる彼女を刺激しないように、距離を取って見守っている。 それには気づかず、まひるは思う。 樺良が自分をどういう目で見ていたか? 単に女のコとしてならまだしも、よりによって猫耳少女でなければ、ナニでアレとは……いやはや、とんでもないのに目をつけられちゃったなぁ……とか考えてから、まひるはまたしても意外な気がした。 しかし、どうやらこの件に関する限り、樺良はまひるを調節していない。 自分がモテるのは当然と考えているのか?いや、そうではない。 この疑問に対する樺良の感情。 『精神を調節できる者は、得てして精神を なにしろ 彼女には、せっかくできることを、美学とやらであえてしない、などという感情はなかったからである。 十
まひるが、自分ならもっとうまくやるのに……などと考えていると、樺良が近づいてきた。 いち早く、 その視線には、彼が初めて他人に見せる、情熱的な光が宿っていた。 まひるは正直、困ってしまう。 《猫と狩人》には絶対服従だから、樺良が死ねといえば、逆らうことはできないのだが、樺良に好きだといわれると、自分でどう応えるか、決めなくてはいけない。 「 樺良は、大げさな身振りでまひるの手を取る。 なまじ、洗脳されていることを自覚しているまひるには、唯一自由が許されたこの件に、素直にはいそうですか、と答えたくない気持ちが強かった。 ただ、そうなったときの樺良の反応は……樺良は自分が拒絶されるなど、これっぽちもも考えてない。知りたいなら、実際にやってみるしかなかった。 「えと……その、樺良部長ぉ……まひるはですね……」 「なんだい……」 目の前に出現した猫耳少女に、うっとりと視線を投げかける樺良。この顔立ちに、この表情。なみの少女なら、メロメロになることうけあいなのだが……。 返答に窮したまひるは、なんの気なしに握られていないほうの手で、髪を掻き上げた。 その 「なぁっ!……あにィィィィィィィィィィ」 それまでの慈愛の表情から、一転いろいろな感情が現れては消え、消えては現れる。 最後に真っ青な顔に落ち着いた樺良は、乱暴にまひるの髪をつかむと、人間の耳がある位置に顔をよせた。 そして、あるはずのないそれを、憎々しげににらみつける。 まひるは黙ってされるがままにしているしかない。 樺良はそれ……まひるの人間本来の耳を見ながらつぶやいていた。 「耳……耳が……耳があるぅ……耳があるよこのメス……なんであるんだよぅ……君には……君にはもう、立派な猫耳があるじゃないかぁ……うっぐぅ!」 樺良は涙ぐんでいる。 まひるは洗脳されてから、初めて本当に困惑した。 樺良がなぜ泣いているのか、自分の知識と照らし合わせてみた。なんらかの耳に関する感情はあるようだが、必死に考えないようにしていたらしく、それに関する知識を、まひるはもっていない。 しばらく傍観していると、樺良は急に やはり それを確認した樺良は、へなへなと座り込み、放心している。 「どうしたんですか、部長!」 樺良の異変に気づき、心配してかけよった部員達のうちの一人が代表してたずねるが、樺良は要領を得ない。 「部長、しっかりして下さい!」 「……が……みが……」 「大丈夫です!儀式は成功しました!」 「ちが……みみ……」 「耳がどうかしましたか?ほら見て下さい。ちゃんと獣の耳が生えていますよ。部長の大好きな猫耳ですよ!」 「……いや違うぞ」 ここにきて、やっと樺良の言葉が理解できるものになった。 「違うって……どう違うんですか?私にはわかりません」 「なんだとォ貴様ァ!」 樺良は部員につかみかかった。部員は抵抗しない。 「なにが違うんですか?私達に説明してください!」 「よかろう……」 なんとか思考能力を回復した樺良は、まひると時央のほうへ歩み寄ると、おもむろに二人の人間の耳を引っぱった。 苦痛に顔をゆがめることすらできない二人。 「見ろ、こいつらには耳が四つある!」 「それがなにか?」 部員がそう問うた瞬間、祭壇上の燭台が、部員の顔面にめり込んだ。 血を吹きながら悶絶する部員を一瞥してから、樺良はほかの部員たちを顔をみまわした。 「いいか貴様ら、よく聞け。僕には考えるのもおぞましいものがある……愛らしい猫耳が生えた美少女……それこそ僕の理想だ……だがな……だがな……」 そういって、樺良は二人の半獣人を乱暴に引きよせた。 「見ろ!こいつらを!耳が四つもありやがる!」 なにもいえない部員たち。 「四つ耳……四つ耳なんてなぁ」 わなわなと震える樺良。 「四つ耳なんてなあ」 一同が、樺良の次に発せられる言葉に注目している。 「四つ耳なんて!猫耳じゃないやいっ!」 樺良は四倍角で絶叫し、泣きながら部屋を飛び出す。 十一
「あのう……まひるはこれからどーすればいんでしょーかぁ?」 呆然が充満した室内で、最初に口をきいたのはまひるだった。 その問いに答えはない。 まひる自身に植えつけられた知識をさらっても、樺良の代わりに指示をする者など決められていなかった。 そもそも人間を まひるとおなじ、《猫と狩人》初の半獣人である いっそ、まひる自身がどうにかしてしまおうか……と考えてから、まひるは自分にそんなことが強制されていないことに気づく。 ねじ曲げられていないことを進んでやろうとするのは、まひる本来の意志なのか?それとも、ねじ曲げられているからこそ、こういう考えが浮かぶのか? そのどちらなのか、まひるにはわからなかったが、やってはいけないことと、やらなければいけないことを守っていれば、まひるは自分の意志で行動できるはずだ。 まひるは《猫と狩人》の目的も、今後の行動指針も把握していた。樺良が最終的には自分自身に特別な半憑依を行い、強大な 樺良がまひるをどういう目的の対象として半獣人にしたのか、いまさらいうまでもないが、樺良が与えた知識には、樺良自身しか知らない知識が多数、ふくまれていた。 この知識を有効に活用することは、今のまひるには十分可能に思える。 たとえ、樺良が四つ耳獣人を、どれほど憎んでいたとしても、それを考えるのがイヤなあまり、『四つ耳半獣人は《猫と狩人》に参加してはいけない』という洗脳をしていない以上、樺良が戻ってくるまでは、まひるが指揮をとることは、洗脳された内容に反しない。 「 またどこかであの呪文『 この二匹を解きほぐし、本能を司る黒き蛇のみを憑依させることで、人間としての理性を保ちながら、動物の力を宿らせることができる。 「 まひるはキョロキョロと周囲を見回したが、呪文を唱えている者はだれもいない。声に気づいた部員が数人、まひると同じように周囲を見回している。 「 声はやまない。 まひるはなんとか自分の知識で、この現象がなんであるか考えた。その間も声は続く。 「 閉止の儀式……目的の このあと、退去の儀式を行って半憑依の儀式は終了する手順のはずである。 「 樺良は儀式を途中で放り出してしまった。 だが、儀式はまだ続いている。 「 誰かが儀式を終了しなければならない。 あるいは継続しなければならないだろう。 だが実際問題、儀式は暴走しかかっていた。 無限とも思える 「 気温がぐんぐんさがって行く。このまま放っておけば、分割されないままの それに気づいているのは、まひるのみ。 そして、まひるにはこの危機を回避するための知識が一つだけあった。 多重半憑依……一つの肉体のある なにをどうすればいいか、まひるだけが知っている。理屈の上ではできるはずだ。 「ランジェロおねがい!まひるの力になって!」 小さくつぶやいてから、まひるは儀式にとりかかる決心を固める。 そして、社員たちに現状を説明し、どうすれば助かるかを説いて、協力を求めた。 なんの権限もないまひるには、実力で相手を納得させる以外にない。 正直いって自信はないが、まだどうにかなる状況を、だまって見過ごすのだけは絶対にイヤだ。 できることならなんでもする!それがまひるの信条だった。 十二
翌朝、 登校し、事件を知ったすわんが部室に駆けつけたとき、部室は周囲をロープで囲われたうえ、窓をダンボールでふさがれてしまっていた。 警察はまだ来ていないようだったが、見張りの教師がいるため、中の様子はわからない。 どうしようかとすわんが思案していると、 ついて行くと、そこは部室の裏にある体育用具室で、演劇部の見知った顔が何人かいた。 鯖斗の話では、用具室の天井近くに部室とつながった小窓があり、それで部室がのぞけるという。 ふだんは部室側で目隠しになるものを積んでいたが、部室が荒らされているせいで、むこうの様子が見えるらしい。 しばらく待っていると、すわんの番がきた。 踏み台がわりの古い飛び箱の上からのぞいてみると、部室内は豪雨の後のようにぐっしょりと濡れている。 そして小道具や備品類が、竜巻が起こった後のように、部屋の四隅に吹き飛ばされているのが見えた。 その嵐の中央に巨大な剣、 思わずすわんは、かたわらの鯖斗に視線をむける。 しかし、暗がりの体育用具室のなかで、沈黙する鯖斗の表情をうかがうことはできなかった。 事件の全貌が明らかになると、さまざまな憶測が飛び交うことになる。 現場の異常さと、部室の中央に突き立っていたということで、超級幻我は呪いの剣として一躍有名になった。そのウワサの広がりたるや、事件は劇の宣伝のためのでっち上げではないか?という説まで出るほどである。 すわんはそのことで、ずいぶんイヤな思いもしたのだが、聞き流しているうちにそれも収まってしまった。 一番最後まで学校にいたペットクラブの部員達は、警察の事情聴取を受けたものの、下校した時間は事件の発生するずっと前で、アリバイも確かだったため、捜査の対象は外部犯に絞られる。 王鳥まひるがペットクラブに関わることを、ただ一人、心配していた千春御ミキも、問題となったのが予想に反して演劇部であったことと、当のまひるに何事もなさそうだったこと、加えて問題の谷々 その後、まひるが以前にもまして熱心に、ペットクラブに参加するようになっても、これといって問題視することはなかった。 一方、学校側からは、こんな事件が起こったとあっては、超級剣姫の公演中止もやむなしとの声も上がったが、OBを含めた演劇部の必死の嘆願と、鯖斗が破損した小道具を超人的なスピードで修復したことで、一週間の活動停止の後、なんとか続行が認められる。 結局、事件は何者かが部室に侵入して部屋を荒らし、ホースで水をまき散らしたという、なんだかむりやりな結論がだされたものの、犯人は現在にいたるまで不明のまま。 世間では、《猫と狩人》なる秘密結社による事件が社会問題になってはいたが、 十三
そして、二ヶ月後の現在。 谷々兄弟の自宅である古びた洋館では、 二人がいるのは鯖斗の自室で、谷々邸の塔屋になっている部分の一階にある、正六角形の部屋だった。 鯖斗が製作したさまざまな作品がひしめいるその部屋は、いろいろあるわりによく整理されている。 『そーいや、さっき来たときも、いろいろ置いてあるわりに、キッチリしてるなって思ったんだよね』 すわんはそう、遠い昔を想うように考えた。 そもそもの始まりは、鯖斗に超級幻我のくわしい設定を聞くために、谷々邸を訪れたこと。 超級剣姫には、劇中で語られることのない厖大な設定があることを知ったすわんは、その大半を理解しているいう鯖斗に詰め寄った。 なぜ、いままで教えてくれなかったのか?そう、詰問するすわんに、鯖斗は余計な情報をあたえすぎると、かえって混乱すると思ったと答える。 主役である自分が、超級剣姫について知らないことがあるなどというのは変だ!そう決めつけたすわんは、ムリヤリ幽霊屋敷として名高い鯖斗の家へ押しかけた。 『あのころは、わたしも若かったのよねぇ……』 鯖斗がそれではと、すわんに語った超級剣姫の詳細な設定は、哲学や神学、科学、 鯖斗の配慮が正しかったことを認めたすわんは、すなおに謝罪する。鯖斗も自分の判断が、すわんに無断のものであったことを反省し、彼女にも理解できるように、少しずつ説明すると約束した。 気持ちよく和解した二人ではあるが、とりあえず今日はおひらきということになり、すわんは家路につく。 そして、あの一件に遭遇した。 なんとか無事に、谷々邸にもどったものの、彼女のすがたは、見るも無残なものだった。 ボロボロになった服のかわりに、いまは鯖斗に借りた大きめのGパンはき、おなじく大きめのYシャツを、 シャワーを浴び、下着以外は清潔な衣服にかえられただけでもありがたい。 自宅にはさっき、 彼女の両親はおおらかな性格なので、連絡さえ入れれば遅くなってもしかられることはない。 電話にでた母親の話では、妹のまひるも友人の家で勉強しているため、帰宅が遅れているそうだ。 もらったココアを飲み干し、マグカップの底にたまったどろどろを左右にゆさぶりながら、すわんは、そういえば、鯖斗の両親はどうしているのかなと考えた。 放課後来たときも、鯖斗以外の人間がいるようすはなかった。兄の樺良は帰宅して、塔屋の頂上にある自室にこもっているようだが、やっぱりほかの人間はいないようだ。 聞いてみようか?と考えてから、すわんは部屋の隅のベットで眠っている いまは、そんな時ではない。 あいかわらず すわんはさっき、この少年とくりひろげた死闘を思いだし、かたわらの 鯖斗はすわんの服を器用に繕いながら、彼女が話し出すのをまっていた。 意を決したすわんは、鯖斗にむきなおり、オレンジ色の橋の上から始まった一件を話し始める。 なるべく私情をはさまずに、なにが起こったかだけを簡潔にのべた。 谷々邸を出てから、橋の近くで事故の音を聞いたこと。 それと同時に剣から蒸気が吹き出したこと。 橋に行ってみると、橋から落ちそうな車があり、轢かれた猫がいたこと。 車の乗員を暴行する、奇妙な犬耳少年がいたこと。 すわん以外、だれも事件に関心をしめさなかったこと。 犬耳少年が不思議な力ですわんの心を読んだこと。 すわんが超人的な力で剣を振るい、犬耳少年を倒したこと。 その少年が《猫と狩人》に所属していること。 すわんの剣が語りかけて来たこと。 剣のすすめで谷々邸にもどって来たこと。 鯖斗は彼女の奇妙な体験談を、質問をいくつかはさみながらも、否定せずに聞いている。 話が谷々邸前でのすわん、樺良、鯖斗の会話になったとき、すわんは思いきって鯖斗に聞いてみた。 「こんな話、信じてもらえるかしら?」 すわんには、鯖斗が熱心に話を聞いてくれているように見えたが、それでも問わずにはいられない。 「確かに信じがたい話だけど……」 鯖斗はそう前置きしてから、すわんのブラウスの、袖が抜けている部分をしめした。 「ここの袖の抜け方をごらん。縫製してある糸が、こま切れになっているだろ。これは、並の力でひっぱったものじゃない。日本製のまだ新しい繊維製品が、ここまで裂断するということは、メーカーの予想をはるかに越える負荷がかかったことをしめしている。これは、抜けた靴底の話や、スカートやソックスの破れかたとも一致している」 そういって、鯖斗はブラウスの袖にへばりついた糸くずを、ピンセットで丹念に取り始めた。 「王鳥の話が本当かどうかはともかく、この服の持ち主が、人間じゃ絶対出せない力で動き回ったのは確かだな」 しばらくぽかんとしてから、すわんは聞く。 「それはつまり…… 「……そうだな、信じるよ」 「そう……信じれくれるんだ」 うれしそうに微笑むすわんだが、内心では『信じてくれるのはウレシイけど……なんか、ヘンな信じかたよね』と思っていた。 『ま、そこが谷々らしいんだケドね』 十四
「で……王鳥のゲンガはそこにいるのか?」 すわんの話を事実と認めた鯖斗は、彼女にここへ来るようにすすめた、ゲンガなる意識についてたずねた。 本来の だが、すわんの話からすると、彼女のゲンガはそれとは違う存在のように思えた。 「いると思うのだけど……」 ゲンガはすわんに、これまでのいきさつを鯖斗に語るよう促してから、ずっと沈黙している。 すわんはそう、説明した。 「……!」 急にすわんは鯖斗から視線を外し、なにやら思案するような仕草をする。それから改めて、彼女は鯖斗に向きなおった。 「……あのね谷々君……ゲンガがね……これから直接話をするそうよ……」 「じゃあ、剣を床に置いてくれ」鯖斗は即座にいう。 「え?……なんでゲンガとおなじことをいうの?」 「……俺が造った剣だからね」 すわんはとまどいながらも指示通り、タールで塗られた板張りの床に超級幻我をおく。 剣はうっすらと、 メーターの一つである右上の圧力計の針が、ゼロのすぐ上にあるGと表示された目盛を指して安定すると、バチッという音がして、メーターから、三つの白い光がのびた。 同時に中央下の温度計の針が跳ね上がり、激しい蒸気の噴出が起こる。だが、その蒸気は部屋内に拡散することなく、光を放つ三ツ眼のメーターの上部にあつまり始めた。 蒸気の塊が一定の大きさになると、蒸気の噴出は拡散する蒸気をおぎなう程度に絞られる。 するとモーター音とともに、三ツ眼のメーターが中央をむき、三つの光条が蒸気の塊に、ある人物の姿を結像させる。 「いよう!」 その人物が、挨拶した。 ゲンガという名のすわんの心の影は、メーターから生えた裸の少年の上半身で、顔は すわんはそれを目にした瞬間、硬直して動かなくなる。 鯖斗のほうはというと、ゲンガ出現の過程があまりにも、自分でこう動くだろうと想定した通りのものだったので、造形家としてひそかな感動にふるえている。 その顔がだれのものかは、とくに気にもしない。 「ま、すわんはとりあえず、このままにしとこーや」 ゲンガは気軽な口調でいう。それから気をとりなおして腕を組み、まじめな口調で鯖斗に語りかけた。 「オマエならわかると思うがな、オレ……超級幻我は、オマエが考えたとおりの能力をもっている」 「そうみたいだな」 「オイオイ、他人事みたいにいうなよ。オレがこうやって話ができるのも、オマエがオレに、そういう能力があるって設定したからだろ」 「俺が造ったのは芝居の小道具であって、《猫と狩人》を倒すための武器じゃない。それに、おまえを形成したのは王鳥の精神だ。俺には、おまえの考えはわからない」 「慎重だな……だが、その通り。オレはオマエの考えた、超級幻我の設定を利用して、すわんの心の影として実体化しているだけさ」 「やはりな……それでオマエは一体、何者なんだ?」 鯖斗は一番の疑問をぶつけた。 「それなんだがな……」 思案するげな、ゲンガ。 「…………」 沈黙の、鯖斗。 「一体オレは、なんなんだ?」 ゲンガは大げさな身振りで鯖斗に聞いた。 鯖斗は思わず、三ツ眼のメーターを踏み潰したくなった。 十五
すわんは頭のなかが、まっ白だった。 あまりのことに、心と体の接続が、ぶっつりきれてしまい、裸の少年を前にしても、顔を赤らめることすらできない。 『っきゃあぁぁぁきゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』 内心ではずっと絶叫し続けていたが、表情はいっさい変化しなかった。 まったく変わらないのだから、逆にただごとでないのは明らかだが、鯖斗もゲンガも、彼女を気にかける様子はない。 『なにあれ、なにあれ、なにあれ、なにあれ、なにあれ』 すわんの考えが、やっと目の前の少年の正体にむいたとき、ゲンガは大げさなポーズでなにやら鯖斗にたずねているのが見えた。 それからしばらく、鯖斗とゲンガはなにやら話し合っていたが、ふいに、二人はすわんのほうにむきなおる。 『どきどきっ』 ゲンガというか、からすの顔が、こっちを見つめていた。 だが二人の関心はすわんにはないようで、彼女のさらに後ろのなにかに注目している様子。 そして、ようやくその声が、すわんの耳にもはいって来た。 「 すかに部屋のむこうから、少女のモノらしい声がする。 調子っぱずれなその歌声に、すわんは聞きおぼえがあった。 「 「だれだ!」という鯖斗の声で、すわんはやっと、思考の無限 「 初めはかすかな歌声だったそれは、微妙に節を変えながら、じょじょに大きくなり、いまは部屋の扉のすぐむこうから聞こえている。 バタンと大きな音をたてて、扉がひらく。 「う・う・う……」 苦しそうな表情で、少年が入って来る。 「兄貴!」 鯖斗の言葉どおり、それは鯖斗の兄である、 「 その後ろから、歌声の主があらわれる。 「ま、まひる……」 これまたすわんの言葉どおり、すわんの妹である、 十六
「 制服姿のまひるは、最後にもう一度ワンフレーズ歌ってから、こやかに挨拶した。 「おじゃましまーす。おねーちゃん、やっほー!」 それからまひるは、つかつかすわんに歩みよると、手にもったカバンをさしだす。 「コレ、橋の上にほうりっぱなしだったから、ひろって来たよ」 「そ、そう、ありがとう……すっかり忘れてたわ」 なんとか返事してカバンを受けとってから、すわんはゲンガのことを思いだした。まひるにだけは、ゲンガの姿を見せてはいけない。 「なにを、見せちゃいけないの?」 まひるは当然のようにすわんの心を読んでから、背後におかれた超級幻我をのぞきこむ。 あわててすわんもふりむくが、いつのまにかゲンガの姿は消えていた。 『ゲンガが気を利かせてくれたのかな?』 「どーだろーね?」 「 「そうそう、おねえちゃん。樺良部長ったら、おねえちゃんたちの話を盗み聞きしてたんだよ」 「谷々先輩が?」 「兄貴……」 「う、うるさい……そ、それより貴様……僕がいない間になにを……」 苦しげな樺良。 「 「だっ……だれが貴様のような四つ耳を、 「ふぅーん。でもみんな、まひるのこと 「 「しょーがないよ。樺良部長がもどって来たら、まひるや 「洗脳……谷々先輩、あなたはまひるを洗脳したんですか!」 すわんは思わず、二人の会話にわりこんだ。 「それがどうした!チキューケナシザル共をどういじろうと、僕はなんとも……クッ……」 またもや苦しそうな樺良。 どうやらそれが、まひるの仕業であるコトに、すわんもようやく気がついた。 「おねえちゃん、ありがとう。まひるはね、部長に洗脳されたせいで、部長を憎むことができないの……本当なら、まひるも部長をどなりつけてやりたいのかもしれないけど……自分じゃどうしようもないんだ……」 彼女は心底、すまなそうにしている。 「まひる……ばかなことはおやめなさい。自分がなにをやってるか…… 「ゴメン、本当にまひるが 「闘うって……」 そういって、すわんはベットで眠っている 「とりあえず、 なにかが 『ワオォウ~ン!』 その気配と寒気が消える直前、すわんはどこかで、犬の遠吠えが聞こえたような気がした。 それから 「 「しょーがないよ。ま、とりあえず、ここから逃げださないとね」 まひるは 「じゃ、そーゆーことだから」 それだけいうと、二人は立ち去ろうとした。 「まちなさい、まひる!」 そう叫んだ瞬間、なにかがすわんの心に 胃が持ち上げられるような息苦しさを感じながら、すわんは動けなくなってしまう。 そのとき、まひるの後ろ姿のシルエットには、人間の耳とはべつに、猫の耳が生えており、腰の下からはしっぽが生えていた。 十七
金縛りにあったのは、すわんだけではない。樺良はもちろん、鯖斗も動けなくなってしまったようだ。後ろで二人がうめき声を上げて、もがく気配がしていたが、それを確かめるために、ふりむくこともできない。 動かなければ……と、思うのだが、思うばかりで体はぴくりとも動かすことができない。 「そのていどの力じゃ、 白い猫しっぽを すわんはそれが、まひるが昔飼っていた三毛猫のランジェロに似ていることに気がついた。 「そうだよ…… すわんの心を読んで、まひるはさびしげに笑う。 『そう、思い通りにさせるかァ!』 すわんの心のなかで、ゲンガが叫んだ。 同時に超級幻我から吹き出た蒸気が、鞘カバーを吹き飛ばしながらすわんを包むと、彼女は体の自由をとりもどす。 すわんはかがみ込んで超級幻我をつかみ、そのまま、まひるに突き立てようとする。 そこへ、 「 「なんなの……?」 すわんはつぶやく。 手ごたえはなにもない。蒸気の噴出もなく、まひるの頭の猫耳も変化しなかった。 「そんなもの、まひるにはきかないよ」 まひるがひょいと、横にジャンプすると、体が剣をすりぬけて、 「貴様…… かろうじてそう聞いたのは、谷々樺良。 「そうだよ…… 「そんな……」すわんは呆然とするしかない。 「どーしても 正気にもどせる……そういったまひるの表情は複雑だった。 「さあ、 『 その言葉に、すわんはふたたび剣をもつ手に力をこめて、 こんどは剣が 『畜生……』 毒づくゲンガの声を心に聞きながら、すわんはこちらを見ているまひるの表情を観察していた。 すわんには、たとえ猫耳が生えていようと、《猫と狩人》のボスであろうと、まひるの本質は変わっていないように思える。 朝、一緒に学校へ登校したときも、昼休みに廊下ですれ違ったときも、まひるはいつものまひるだった。二ヶ月ほどまえから 「そう……まひるはいつだって、まひるだよ……」 すわんの心にまひるは答える。 「ねえ、おねえちゃん、これだけは約束するよ。家では……パパとママのまえでは、絶対闘わないし、闘わせないって。だからね、パパとママを不安にするようなことはしないで……二人の心は、まだ調節してないから……」 すわんとまひるは見つめあう。 「……わかりましたわ」 『……わかったよ』 すわんは言葉と心の両方で、返事をした。 「じゃ、さきに 努めていつも通りにいうと、まひるは |